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非リア充と言いつづけるリア充達。友人と楽しく「非リア充」と自分自身のブランドを披露し始めるかのようなその集団に怒りを覚えた。

非リア充とはいったい何か。
非リア充の全員がひきこもりなわけでも、友達がいないわけでも、強いて言えば恋人がいないわけでもないだろう。
リア充というものがそもそもどういう概念なのかが自分にはサッパリわからないが、
集団で集まってコミックマーケットに行くついでに秋葉原に寄って、
秋葉原UDXのレストラン街でも集まって食事をしてオフ会であったり似たような事をやっている奴らは、
果たして「彼女がいない」という一点だけを見て、「非リア充」です、と言えるだろうか。
果たして、リアルが充実していない、と、自信を持って言えるだろうか。
きっと本人たちも心のどこかで、ただ単に「非リア充ネタ」を使って楽しんで人生を円滑に運んでいるだけであり、
本当の「非リア充」は、友達すらいない。
たとえ、友達がいるとか彼女がいるとは言っても、
一人または数人で、ほぼ共依存といえる形であるならば、
まだしもそちらの方が、「非リア充」と呼べるのではないだろうか。
確かにそれを「非リア充」と言ってしまえば、いったい「非リア充」とは何だ、
とまた疑問は出てくるのかもしれないが、少なくとも、
明るく振る舞い切れる「非リア充」ほど、信憑性のないものはない。
その辺の酔っ払いだとかと同じように大笑いし、娯楽の話で盛り上がっているような奴らだ。
それは、メジャーな舞台でアングラを気取る奴のようなものだ。
そして何より気に食わないのは、アニメが好きだからアニメだけを見ている、わけでもなく、
他にそれこそ「オタク」だと称される人が嫌うと通常思われているような、
ミーハーというか多数派が支持しそうなものにまで精通していて、面白がってすらいることだ。
そもそも、その一番の原因は、アニメやPCゲームが異常なまでにメジャーになってしまった事だとは思うが、
それだけではなく、奴らは「オタク」と自称していようが、「普通」と自称している人と何ら変わらないのだ。
ファッションとして、ダサいと自負していそうなシャツやズボンを履いて、
わざとかと思うくらい不細工な、というかそう仕向けたとしか思えないような奴らが、
集団で集まって、清潔感のかけらもない自称「非リア充」の集いが行われているのを見ると、
つくづく吐き気がする。
実際には、その集いの熱狂は、「リア充」と言われているカップル達の会話をすべてかき消すかのように存在している。
リアルが充実している、とはいったい何なのだろうか。
ここまで来たら、言いたい事はだいぶ伝わっていてほしいが、
つまりは、「非リア充」と言い続ける鬱陶しい「リア充」共よ。
うるさいから黙れ。死ね。という事である。
元旦早々、こうして怒りに満ちている自分だった。