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全世界の「何らかの不満を抱えている子供」達の「親」達へ。

全世界の「何らかの不満を抱えている子供」達の「親」達へ。
お前らは子供を産んではいけなかった。
なぜならば、その子供達は「生まれてきて良かった」とは思っていないからだ。
なぜ生きているのかと言えば、
「死ぬのが怖い」から、または「生まれてきた以上は死にたくない」からだ。
全世界から、「消えたい」という声がもはや聞こえてきているのがわかるだろうか。
たとえお前らが、「自分は自分で頑張ってるんだよ」だとか、
「これまで一生懸命育ててきた」だとか、
「もう大人なんだから自立しろよ」だとか、色々。
何者かを比較に出して、「お前は恵まれている」などと言うのも同様だ。
子供の努力不足だと指摘する類の話をした時点で、親としては失格だ。
そして、生まれてきた子供に対しては、絶対的に「悪」でしかない。
なぜならば、「生まれてきて良かった」とは思っていないからだ。
すべてが悪かったなどとは「生まれてきた」以上は思わないかもしれない。
ただ、「子供が感じる不満」が、「生まれてこない方が良かった」と少しでも思わせるようなものであるならば、
それはもはや、親が悪かったとしか思えない。
なぜならば、「子供を産まなければいけない」という義務はないからだ。
もし家庭においてそのような義務があったのならば、
その発言者が悪い事にはなるし、ある意味で被害者ではあるかもしれない。
ただ、「子供を産む事を強要されたわけではない」のであれば、
親の自分勝手でしかないと思う。
「親に感謝しろ」などと親が言うのはもってのほかだ。
そもそも、感謝というのは自発的にするものだ。
感謝を強要した時点で、感謝のフリをしているだけだ。
結局「親」というのは、
自分の「奴隷」を探しているだけなのだ。
自分の思い通りの子供に育った時だけ、
「形だけの愛情」を与える。
基本的に「親」は、
「自分以上」に子供を愛する事はないだろう。
そもそも、そこまでの状況に追い込んでいる時点で、
その親は子供を産むべきではなかったはずだ。
勿論、その「自分以上」の内訳が、
「金銭面なのか心理的な何かなのか」によって異なるわけだが。
どれだけ「親」が、
「普通の親はここまでやってくれない(これだけ愛してくれない)」だとか、
「普通の親より頑張っている」などと言ったとしても、
肝心の「子供」にその「結果」が伝わっていないとしたならば、
「親」がいくら「努力」しようが意味がない。
基本的に「親」は、
「子供」に対しては、「結果」が出ないと意味がない、などと言いながら、
「自分」に対しては、「頑張っている」と称賛したりする。
それは子供も親も同じだと言うのだろうが、
「親」は「上から目線」で「子供」を抑圧する、という違いがある。
また、基本的に「親」は、
自分の過去の話を執拗に話して美化したり、子供に押し付けたりもする。
「子供」が「自分」と同じように「思った通りに」育つと思い込んでいる。
そして、そうならない時には、結果的に無理にそういう方向へ持ち込む。
そしてさらに子供は、「生きていたくない」という感情を増幅させる。
誰もが同じように「そこそこうまく」生きていけるわけではないし、
社会に馴染めないかもしれないし、人に騙されて無一文になるかもしれない。
そんなときに、どこまで「親」が助けてくれるかで、いつまで生きていくかも決まっていく。
こういうと、他力本願だ、と言われるかもしれないが、
そもそも「子供を産む」という事は義務ではないのだ。
さらに言えば、基本的に人間、生きている以上、
いつまでかはともかくとして「他力本願」であるに違いないのだ。
それが人間か、他の動物か、その両方かはともかく。
人間と一切かかわらず自然の中で生きている人でさえ、
食べるものは他の動植物であり、すべてを自分だけで賄えるわけではない。
植物でさえも光合成するために光エネルギーと水と二酸化炭素が必要だ。
色々と長くなったが、
相当な「自信」がない限り、子供を産むべきではない、という事を言いたかったわけだ。
どうあれこの「自信」には、圧倒的な金と権力がある事が最低限の条件だと思う。
つまり、ほとんどの「親」は、「産んではいけない子供」を「産んでいる」事になると思うわけだ。
なぜ「いけない」と言われなければいけないのか、と言えば、
その「子供」が「生まれてきて良かった」とは思っていないからだ。