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人類衰退への歩み。

人類は一刻も早く衰退への歩みを進めなければならないと思う。
つまりは、子供をこれ以上誕生させてはならない、と言いたいのだ。
(自分は幾度となくこの手の話をしているため、しつこいと思っている人はいると思うのだが。)
生まれてくる子供がそれを望むか否かを選択出来ないのは勿論だが、
アプリオリ(先天的)に、国も時代も性別も、そして親もわかるわけではない。
何ら判断基準もなく、不本意ながら生まれてきてしまう子供の存在を、
親は重く受け止めなければならないのではないだろうか。
この世に生まれるというのは、賭け事だと思う。
どこにどのように生まれるか、どんな才能があるのか等も、
生まれてみなければわからないし、勝手に人生が決められてしまっている。
また、どんな親にどのように教育されるかによっても、その後の人生は左右される。
どれも、決して自分自身が望んで手に入れる事は出来ないものだ。
努力すればどうにでもなる、という人もいると思うが、
努力する才能というのもまた、生まれ持ったものであったり、親の教育によるものだ。
例え何とかなると仮定しても、そこまでの努力を持ってしてやっと才能に追いつくのだとしたら、
それはやはりリスクとして立ち現れる事は確かだ。
何かを成し遂げるにはあまりにも短すぎるのが人生だ。
かといって、何も成し遂げなくていいとすれば、あまりにも長すぎる。
だから多くの人は、
何もかもが曖昧な世界で、見せかけの正義や平等の前に、
自分自身の置かれた身、生まれた環境を省みて、絶望する。
そして仕方なく、それでも生きていくしかない、という覚悟を持って、
何か大切にしていた志も忘れ、日常に溺れていく。
時に振り返り、後悔しながら。
そして、ふと死を思い、実行に移す人もいるかもしれない。
今後どのような世の中になろうとも、
誰しもが望んでいる人生の在り方を実現出来る訳ではないだろう。
であるならば、あるかどうかもわからない未来のために、
誰かに何かを託す必要もないし、そのために犠牲になる必要もない。
となれば、子供を生む必要がないのは明らかだろう。
一刻も早く、衰退への歩みを、一歩一歩、着実に進めていくべきだ。
どこまで続くかわからない山ならば、今をその山の頂上だと仮定した方が良いのではないだろうか。
滅亡する等と焦らず、殺戮などの恐ろしい事態も避けて、
いかに安全にこの山を一歩ずつ下ってゆくか、いかに衰退するかを考えなければならない時期に来ていると思う。
引き返す事が出来なくなる、その前に。