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一神教が不在の日本における「善悪」について

 日本において一神教は根付いていない。ほとんどの日本人は、様々な宗教を単なる行事として消費するだけであり、特定の宗教に対する信仰心というものを持ち合わせていない。
 特定の「神」を信じていない日本人にとって、多くの場合、善悪判断の根拠は集団社会の中で見出されている。周りに合わせて自らも同じ行動を取ることが善だというわけである。
 しかしそれは、単に賛同している人数が多いだけであり、何故正しいのかという根拠が一切ない。「神」という絶対的な第三者の視点があるという前提の上でしか、絶対的な善悪は存在し得ない。
 それでさえも疑うことによって無効化できるわけであるから、それすらも用意されていない状況においては、自分は何をやってもいいのだという考えを持つのは当然である。そして事実、その通りである。
 違法行為であったとしても、制裁されても構わない、あるいは逃げ切れるというのであれば、別にそれを行ってもいいのである。繰り返しになるが、絶対的な善悪は存在しないからである。