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眠れないから書く。話は相当ずれる。

「眠れないから書く。話は相当ずれる。」2012年09月13日06:25
人間ってのは、儚いもんなんだよ。優しかった人でさえ、身体が不自由になると性格が変わるんだ。いや、本来言いたいことを言うようになるだけさ。そして人は悟るようになる。
愛している人がそこにいなければ、そこで自分の人生ってものを、すべて悲観するのさ。
最期に見る夢のために人間は生きているとも言える。
結婚したら離婚する。
それがいつからか俺の中では当たり前のことだった。
愛が結婚に結びつくわけでもないんだ。
それは、離婚した夫婦が一番よくわかることだ。
そんな中で、大半の人は、本来好きだった、結婚したかった人を最期に想う。
最後まで続いた、真実の愛だと思えた2人でさえ、最期まで繋がれるわけじゃない。
記憶の中で、いや、歴史の中で2人は確かに永遠かもしれない。
しかし、最期の瞬間、絶対に人間は独りなんだ。
だからこそ、人間は、今この瞬間の愛を大切にするのかもしれない。
それが無駄だと思うことは何度もある。
俺が、誰かの愛を受けた記憶がないからだ。
童貞とかいう話じゃない、恋人なんていた記憶がない。でも、そういえば、幼稚園のとき両想いの人がいた。でもすぐに引っ越しをして、いつの日にか、場所がわからなくなった。
今も元気でいるんだろうか。
その時期あたり、自分はややカマくさくなった時期もあった。あの子になりたい、みたいに言ってたか。思い出せないし、言う必要もない。
時系列は詳しくは忘れた。
その影響は多分ないが、性格がやや変なこともあって、いじめられた。
徐々にストレスを抱えるようになって、太り始めた。その頃から、さらにいじめは酷くなっていった。そして、蹴られて入院したこともあった。9.11テロの日に退院した記憶がある。肺に血がたまっていたが、しばらく水だと勘違いされていて、割と状況は危うかったかもしれない。見舞いには割と多くの人が来た。
もちろん、蹴った奴の親や親戚も来た。
お菓子を置いて行った。
そのとき、俺はいつもの癖で、「ありがとうございます。」と言った。
俺はやっぱり、優しすぎたんだと思う。
今では、人間に挨拶するのでさえ嫌だ。
ましてや、お礼なんて絶対に言いたくない。
それも、そんな人生の反動だと思う。
わからない奴には絶対にわからない。
小学では、親の方針上、英才教育で、英語なり珠算なり習った。珠算は割とすぐ上達したのか、賞は少し貰った。英語は中学高校で幅がきいたが、せいぜい高校のライティングで一回学年1位とったくらいで、小学のときの英語学校の教師がスパルタ気味なのもあって、いい印象はほとんどない。小学の修学旅行は、なんとか37度を出して休んだが、何より嬉しかったのは、英語学校を休めることだった。
そんな小学時代を過ぎ、中学に入ると、いじめは更に酷くなり、かといって、不登校にもなれず、まじめを突き通した。
誰の言うことも聞き、嘘をつかなかった。そんなことは、小学の頃から変わらなかった。
最後のほうは、もう、生きる意味を分かれずにいた。学校に行くと、靴には死んだバッタがいて、ジャージも財布も、持っていなければ、すぐになくなった。トイレに財布を持ち込んでも、カツアゲされる。そんな状況だった。
そして卒業すると、浪人した。
浪人生は後に同じ高校に入る女子1人だけだった。1年いたにも関わらず、ろくに話はしていない。殺伐とした浪人生活だったが、約50kg痩せたということは、相当でかい。心の闇と、言葉を結びつけ始めたのはそのときからかもしれない。はっきりとした文字となったのは、その2年後くらいからだった。高校に入ると、やはり性格が前面に出た。人とまともに関わっていなかったのもあり、すべてが別世界に見えた。いつのまにか高校でも孤立していた気がする。でも、今までとは違い、細々としたつながりはあったし、何より殴られも蹴られもした記憶がない。あまりの足の遅さは微妙に雰囲気を出されたが、悪口はあまり聞いた記憶がない。自分がそう勝手に思っていたとしても、それはでかい。
だからこそ、今でも信用できる人と言えば、彼らの中で少しながらも絡みがあった人だ。
訳あって、卒業せず高卒認定を取ることになったが、教師は悪い印象があるが、生徒は総じて性格の良さが出ていた。
その後、また浪人するが、親の離婚がきっかけで上京。
母親は、寛容になるときはなる人なので、それもあった。
宅浪だったので、青空が遠い期間だったが、そのときやたら書いた詩は、自分の今後の財産になっている。
引きこもりだっただけに、性格はさらに変わっているが、自分の性格はこうあるべきだと今は思う。
眠くなったので今日はここまで。
またいつか、いや近々、続かないとも言えません。
ほとんどメモですが、読むと夜眠れないときは、眠れる、かも。逆の可能性は高い。