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「ありのまま」(ありのまま完全体、自慰と言い過ぎた。)

「ありのまま」(ありのまま完全体、自慰と言い過ぎた。)

ポジティブが最高だ、楽しい、それは確かに、ある意味正しい。

けれど、そうでない人も実際にはいる。

何もかもが嫌いで、くだらない世界に、代わりの利く誰かの存在にうんざりしている。

これが自分だけじゃない、っていうのは、前々からわかっていたけれど、

最近になってよりわかった気がする、というより今日はっきりとわかった。

自分の場合は、どちらの感情にも適応できなくもないところもあって、

臨機応変に立ち回ることもできなくもないし、

ずっと自分に対する嘘をつくことができるおかげで、

まったく別の性格の人とも、話そうと思えばできなくもない、気がしている。

気がしている、というか、自分のことを話さなければならない場面になると、

嘘をつきたくない自分と、嘘をつかなければ進まないという事実の中で、

割と戸惑う。

前に嘘をついている場合は、引き続き嘘をつくことになる。

自分の場合、普通はどうでもいいことであっても、嘘をつかなければならない場面もあるし、

強いて言うならば、明るく話すことがあるとすれば、それは大体嘘だった気がする。

内容だけでなく、態度も嘘なわけだけれど、

実際にその嘘が当たり前の人同士で話す場合があるとしたら、

特に何の気遣いをする必要もない。

自分の場合は、その気遣いをする必要がない人、とも、

どこか少しずつ違っていることが多かったからこそ、

本音で話すことっていうのは少なかった。

全く自分と考えが違わない人、っていうのは、

そもそも人と話を全くしない人なのかもしれない。

実際そうでない自分がどうこう言えるわけではないが、

考え、としては相当近いんじゃないかと思う。

そうでない人でも、自分と全く考えが違わない、と思われる人は

いるからこそ、そうではないわけだけれども。

ひとまず、そのポジティブ派、ネガティブ派、について戻るとする。

基本的に、ポジティブ派が多い、というのも、

それなりに明るいことを言っておかないと

気まずいし、反応が怖い、なんてことを考えるからだと思う。

その連鎖がつまりは綺麗事であって、

その綺麗事っていうのは、綺麗に見えるからこそ連鎖しやすい。

けれど実質はただの嘘で、本当は真逆のことを思っているかもしれない。

むしろ、真逆のことを思っているからこそ、

それを言わなければいけないんじゃないかと思う。

少なくとも、それを言っている人たちは、

実際にネガティブ派の人たちのことを全くわかっていないし、

その意見を切り捨てることで、正当化している。

どちらにせよ、切り捨てるのは、正義が違うからだし、

戦争なんていうのを考えると、

どちらが正しいからという時点でナンセンスだと思う。

けれど、正義というのは、信じたものをそのままに伝えるがゆえに成り立つ。

正義のように見せかけて、正義だと言いふらすようではそれは真のそれではない。

自分がポジティブ派を嫌うのもそこであるし、

そこには、確実に、見え透いた打算がある。

自分が最も男を嫌う原因の一つで、

かつ最も嫌いな部類の男の形態である、

「俺について来い型、タラシ野郎」が、特にそれにあたる。

その部類というのは、

口説く、という異様なまでに汚くかつ、冷淡な手段をとり、

女性をだますというのである。

これは、つくづく、汚いやり方だと思う。

世の中っていうのは、そもそもが打算の上に成り立つし、

友情なんていうものがあるとすれば、

それもまた打算がゆえ、必要であるがゆえにあるわけだけれど、

人間関係における打算の、最も卑劣な部類の形であると思う。

これを平気だと思っている奴を自分はそれなりに知っているけれど、

それでいて稀に正義を語るらしい。

内容も、それをしない方が悪いだとか、童貞批判だったりとか、

これは人によってぼちぼち違うが、

それでいて、変なところではこだわりがあったりする。

金銭絡みだったりとか、マナーだとか、時には常識だとか言ったりする。

ここについては、ハッキリと言いたいわけだけれど、

その奴のやっていることが許されるのだとしたら、

奴の言っている違反たるもののすべては許されるはずだ。

もし奴が損をすることがあったとしても、因果応報だと思う。

それにそのうち恨まれてそれなりの事が起こったとしても、

それもまた当然の流れ。

神がいない、だとか、何もしない、だとか、色々と言われているけれど、

神がやらないなら人間がやるまでだと思う。

少なくとも自分はそれを望むし、

復讐というのは、正しい形で行われるべきだ。

これまでのすべての自分に対する抑圧の、

最終手段たる行為が、

「無差別」に対してであってはならない。

確実に、そこにおいては、「差別」しなければならない。

これはなぜ言えるのかというと、

どうせ、人間に対して復讐しなければならないというのが確定しているのであれば、

復讐という形でなければ、被害者が生まれるからである。

自分は、理不尽、も、適当、も嫌いだ。

誰が誰に対してどうするのか。

これがハッキリしていない復讐なんてのは特に嫌いだ。

これは1年か2年か前のことだったと思うけれど、

自分自身、その復讐心というものが色濃く出ていたし、

それは今ももちろんそうであるわけだけれど、

それが、自分に対しても、「無差別」である場合、

向けられる可能性がなくもない、ということだ。

実際これは、誰に対してであったとしても、

殺意、というものを明確に意識できた人にはわかると思うが、

それは現実にあるものなのだ。

誰かの決意ですべてが決まる唯一の行為であるところのこれは、

復讐となるのか、理不尽さの典型となってしまうのかは、

その決意次第なわけだが、

その決意っていうのは、復讐であって欲しい、

と願うということだ。

生きる、ということ自体、本当は奇跡のようなもので、

これが地域が違えば、勿論、日本なんかとは比べものにならないほど、

生存率というものは減っていくし、

かといって、いくら安全であっても100%ではないというところと、

それが周りから来るのか、自分から来るのか、すらわからないということ。

これがあのときの、異常なまでの恐ろしさと、完全なる引きこもりの理由だと思う。

この世界というものは、知れば知るほど、恐ろしいものばかりで、

やはり、生まれてくるということは、幸せなものではないなと、思う。

ある意味、被害者をまた誕生させてしまった、とも言えるのではないかと思う。

もし自分が幸せであるならば、子供たちも幸せであると信じてやまないかもしれない。

けれど、それは絶対的に違っていて、

この世界に来ること自体、幸せと呼べたものではない。

だからこそ、人間というのは、存在しないことが、

「不幸」がない、という点で、一番の幸せなのだ。

これは、生まれなければ幸せもない、という意見に対する反論である。

ある時、この考えを言う流れになったときに、

今となっては詐欺師でかつ「俺について来い型」かぶれのタラシの男は、

ならまず「自分」が死ねばいい、ということを、強く自分に言ってきたけれど、

つくづく、なんでそんな奴が生きているのかさっぱりわからなかった。

リスクのない復讐というものができたとしたら、

そいつに対しても自分はすると思う。

けれど残念ながらこの世界では今のところ、

誰かに対する復讐たるものは、リスクを伴うわけだ。

自分の場合は直接的なことは、

リスクがある以上決してしない、という考えが固まっているので、

なんだかんだ言って、自分と関わると安全だというのは実感していただきたい。

まあ、別にそんなものはどうでもいいんだけれど。

ここまで書いているあたりで、

自分は大体、言いたいことは尽きないなと実感する。
これまでの話がある中で、だいぶ、ポジティブ派に対する批判は感じ取れたと思う。

まず、実際思っていることが全部そうなら、ポジティブだろうがネガティブだろうが、

混ざっていようがいいと思う。

ただポジティブ派の一部は、

ネガティブ派を批判するし、笑顔を振りまけば大丈夫だから、っていうような、

適当な話をしてきたりする。

笑顔になればすべてが幸せ、っていうのも、

そうである人にとってはそうだろうけれど、

そうでない人もいるんだ、っていうのを実感して欲しいと思う。

よく、人を救うためみたいなことを言っている人がいるが、

実際、全然救えていない。

自分には思い当たるところがあるし、

今でもずっとその時、大体14歳くらいのときであるけれど、

ある女の人がいて、自分より確か3,4歳上で、

その人とはネットで知り合った、といっても、

実際会うことはなく、ひたすらチャットをするわけであったけれど、

その人は、前々からリストカットがやめられなくて、

昔あった事をずっと引きずっていて、

その時もまだ、それを忘れられずにいた。

僕は彼女には、昔の事は昔のことだし、

これからはきっと違う、なんていう、

典型的な適当な言葉を常にかけていたし、

その人の話を聞いてはいたものの、

やっぱり解決策が自分としては、

忘れること、としか言えなかったもんだから、

最後まで、結局その人の心の闇も取り除くことはできなかったし、

リストカットも終わる気配はなかった。

縁を切ったのは結局は自分からだった気がするし、

それまでも何回もお互いに縁を切っては、

見つけるための手段をとり、

また見つけてはまた話をする、

また縁を切る。

思えばいつだって、自分が逃げたいがために、

その人を遠ざけていたと思うし、

結局のところ自分よりも救えていたとされるのは、

自分とその当時ネットで関わりのあった男だったと思う。

そいつとは割と意見を交わす機会が多かったけれど、

先ほど言ったその女性の傷をさらに深めているかのように

思われたみたいで、

許さないぞ、みたいな感じで言われて縁を切った気がする。

自分は、彼女に何を悪いことを言ったのか、

今でもよく思い出せないけれど、

やっぱり悪く思われたってことは、

やっぱり自分が悪かったんだと思う。

今でもその人のことは、

事あるごとに引っかかる。

浪人してまで弘前高校とかいう、

田舎ではいわば進学校みたいな、

腐りきった生徒頼りの学校でかつ、

無駄に規則だけは厳しい、

言うならば、軍国主義を振りかざす団体に入ったわけだが、

そこでは、これまでのいじめられていた自分とは違い、

一応は、痩せたというのが理由であるのかはわからないが、

目立ったいじめみたいなのもないままに過ごしたけれど、

なにぶん、糞みたいな教師しかいない、

プライバシーも侵害しつつ、個人の自由も奪うような、

ある程度もう、刑務所的な空気感が漂うところであったし、

自分自身、その刑務所では、下手な真似はできないから、

まじめなフリをしたし、

その当時は、

東大に入らなければ生きる意味がないとまで思っていたというのもある。

結局その学校は、特に面白みもなかったし、

あんな抑圧的で閉鎖的な場所でありながら、

対外的には、弘前ねぷたまつり、なんていう、

とてもじゃないけれど、

あんな刑務所に似合わない文化を未だに継承していた。

しかもそれは3年生になってまであった。

といっても、

自分の場合、3年の7月から、学校に行かない、つまりは不登校になったから、

その祭りには参加していない。

(わかる人にしかわからないと思うが、自分の役割を配線にしていたし、

2年のときに配線をしていたのはそこでは自分だけで、

その少し前に、頼りにしてるかのような、そこの女子からの、

疑似ラブコール的、これまでさっぱり女性に縁のない自分からすると、

喜ばしきメールをいただいたにも関わらず、不登校という結果にいたっているわけだが、

その人の苦労を思うと、不登校ながら少し胸が痛むところもあった。

かと言って学校に行くわけではない、というのがミソである。)

なぜ不登校になったか、というと、

これは教師のせい、特に、化学の教師のせいである。

奴は、それこそ、弘前市内でも雄叫び声で上位だと思われるほどの、

とてつもなくうるさい声を発し、

男女問わず威嚇し、

人々を憂鬱な気分にさせる、刑務所内では恐ろしい存在であった。

あのごましおの髪を見るたびに、

教室内に響き渡る叫びを思い出し、

廊下でも、奴がいたらすぐに隠れ、

向かってきたら、姿勢を正して横を通るようにした。

その際に、雰囲気からして、急いでいればそのまま、

急いでいなくて、こちらをうかがっているようであれば、

挨拶は忘れずに通り過ぎた。

授業の中でも、奴の授業は特別で、

特に内容は、たいしたことはなく、

化学I・II標準問題精講だとか、化学I・IIの新研究でも眺めていたほうが有意義だと思っていたが、

これまた奴の授業なだけあって、

変なところで突っ込むし、言わなくてもわかってるようなことを、

まるですごいことかのように強調するし、

かといって、なら、これはわかるだろう、的な、

とんでもない飛躍したことばかり繰り返すもんだから、

別の教師の授業と違って、効率も平均点も悪かったと思うし、

説教されるのが怖いがためにかろうじて帳尻合わせかのように、

化学に力を入れさせることになり、

費用対効果が実に悪かったと思う。

要するに、脅して無理矢理勉強させてるようなものだ。

その頃、ある意味で、理系の面白さ、といっても、

文系、理系と分けること自体ナンセンスだとは思うのだが、

とりあえずある種の面白さを少しでも感じていた自分ではあったが、

奴の、弘前高校を代表する人の不幸を招くその雄叫びは、

見事に自分の化学嫌いを促進させたし、

奴の声のせいで、当てられたときは常にびくびくしていたし、

当たり前のことなのに、答えられない、というより、

口が開かない、というか、目の前が真っ白になる、

貧血になるときに実によく似ている現象が起こるようになった。

それに、奴のせいでややトラウマを抱えつつある女子がいたし、

自分としては、この組織、いや、刑務所の異変を感じた。

それまでも、あの刑務所はいつだって、そうして人の自由を奪い、

人の個性を奪い、人のプライバシーを奪っていた。

奴はその中でも、特に、まずい存在であった。

これまでの教師も、同じ気質はあったけれど、

度合いが、どこまでも違ったのである。

こいつを自分は、ある意味で、殺さなければならないと思っていたし、

あんな状況では、生涯に渡るトラウマを抱えかねないとも思っていた。

現に自分は、先ほど言った謎の症状からして、

だいぶ、拒否反応が出てきてしまっているのだ。

これまで、記憶の中では、数学と古典の教師はやたらうるさかったし、

数学の教師なんかは、やたら課題も多かったし、

説教も、化学の奴と近いくらいの程度ではあったけれど、

圧倒的に、嫌悪感と、切迫感、周りの生徒も含めてつくる、

あの教室の、閉塞感、孤独感が、

とことん、そこにいる人たちを追いつめていたと思う。

自分は今だからこそハッキリと言えるが、

圧迫感から入る教師は教えるのがへたくそだし、何も伝え切れていないな、と思う。

そんな圧迫感から入る、人を不幸にする雄叫びをあげる化学の教師のせいで、

結局自分は不登校になった。

最後に、何かしらあの学校に対する不満を校舎中にとことん書いていきたかったが、

相変わらずの、自分の、「正義感」は、健在だった。

なんだかんだ言って、自分は、悪事とされるようなことを全くしたことがない。

したことが全くないかというと嘘になるし、

人間なんて、生きてるってこと自体悪事がゆえにはなるのだが、

言い返されそうな範囲だけで言っても、

いじめられたストレスで学校の壁を殴ったくらいで、

実際その後教師に色々と言われたが、

いじめた奴をまず何とかしようとは思わないのかとつくづく思う。

やっぱり、教師はいい加減な存在だな、と思う。

(全員が、とは言わない。

実際、僕が言うところの、正義を全うするような教師に限って、

周りの教師からの圧力で鬱病になって結局は教師をやめたりする。

全くもって、正義はどれだ、と、言いたくなるような世界だなと思う。)

さて、特に恐ろしいこともせずに不登校になって、

(心の中では、この学校の根底を崩してやろうと思っていたが)

自由の身になって、しばらくは、

受験に専念する(高卒認定は11月に取ることになる)という、一般的に言うと、全うだと思われることを

続けていたが、

いつからか、全くわからないけれど、

自慰行為がやめられなくなっていたのである。

そこまでか、と思うかもしれないけれど、

自分の場合、家から出ない、というのもあって、

駄目だとは思いつつも昼夜逆転したし、

それが原因なのかわからないが、

どうも、自慰行為に対する意識がやけに強くなっていた。

頭の中が常に、

「受験と自慰」

という状態になっていて、

これまた、

どちらかというと自慰が勝つという決まりのようである。

正直なところ、

欲望に従えばそうなるに決まっている。

いつからか、

エナジーオーガズムにも興味を持ち始め、

いかにしてそれを達成するか、というところが、

最も関心のある出来事になってしまっていた。

もう、達成するものがどんどん自慰方向に向かってしまったのである。

その間にも学業の伸びは、これまで学校にいたときよりは、

格段に伸びたと言えるけれど、

勉強している時間と自慰をしている時間とでは、

どちらかと言えば、自慰をしている方が長かったというのもあって、

引きこもりで、人と接することもなかったし、

楽しみといえば自慰、

隙あらば自慰、

という体制、体勢をとるようになってしまい、

もう学業と自慰と合わさった何かが、常に渦巻いていた。

これを書いている今も自慰をしている、

というのは全くの嘘だけれど、

さすがにここまで長いと嘘もつきたくなる。

{ただ、自慰自慰言ってて本当にG(ゴキブリ)が出てきたら、気絶するかもしれない。}

まあ、そんなわけで、

自慰のことばかり考えていたのもあって、

結局は浪人することになったわけだが、

それもまた長くはなく、

親が、常々、離婚を望んでいたこともあって、

親の離婚とともに、めでたく自分は上京したわけだが、

今も自慰のことばかり考えている。

というのも、あながち間違いでもないが、

当時の彼の自慰に対する熱意に申し訳ないと思うくらいにその熱意は薄い。

彼のエナジーオーガズムに対する熱意というのは、

我ながら尋常ではない、というのは当たり前だが。

でも彼の熱意がこうして文章となっているのを考えると、

これもまた、悪くはないな、とも思う。

過去はやっぱり肯定しなければいけない。

先ほど言った、あの女性にも、

過去を肯定するような発言をすれば、

今頃、こんなに、あの時を悔やむこともなかっただろうし、

引きこもりにもならなかったのかもしれないと思う。

(そうなると、痩せていたかはわからないが。)

その女性が今、どうしているのかは、

自分には知り得ない。

一時期、その女性を救った、とされる奴は、

どこぞの情報によれば、

今は東京大学にいるらしい。

とりあえず、

誰がどこにいようが、自分にはどうでもいいが、

やっぱり、

刑務所と、中高一貫では、環境が違うんだな、

とは言っておきたい。

刑務所にいる前に、弘前市立第四中学校、

という、これまた話すと長くなるけれど、

自分が最もいじめられていて、

自殺というものの近さを感じた時期が、

現に中学校であったと思う、

その前に、小学校のときに蹴られて、

肺に血がたまっていたがゆえに、

下手すれば死んでいたというところまで来ていたのだが、

どこまでも、いじめ抜かれた義務教育時代だった。

なぜかいつの間にか弘前高校のことを刑務所と言っていたが、

正直、生徒の質という面では、

小中学時代こそまさしく刑務所だったと思う。

弘前高校は、自分の知る範囲では、とはなるが、

そこそこ、性格のいい人がそろっていた気がする。

あれを刑務所と呼ぶには、いい人が居すぎる。

もしかしたら全員冤罪だったんだろうと思う。

いや、そんな話はいいか。

とりあえず、刑務所で過ごす6年間が、

奴とは密度が、色々と違ったことは疑う余地もない。

自分自身、そこまで勉強に嫌気がさしていたわけではなかったから、

もう少しいい環境で勉強したかったと少しは思うが、

今となってはもう昔の話で、

正直、話のネタにできるってくらいの認識ではある。

シリアスな面はそうではあるのだが、

そうでない面は、とことん、そう思う。

自慰について、など。

そういえば、あの女性はそういえば前に、

リストカットは自慰、みたいなものです、みたいなことを

やや濁しながら言っていたけれど、

自慰って何ですか、って質問した自分は、

ずいぶんとそれもまた失礼だったなと思う。

その時は本当に知らなかったのだが、

実際、自分が、彼女とのチャットで、

といっても、普通の会話、なのだが、

普段女性と話すことが全くない自分にとって興奮するもので、

そこでしていたのが、

実は自慰だった、

ということに気づくのは、だいぶ後だった。

あぁ、これ、自慰、というのか、と。

それに、中学時代、

ばれないようにうまく、学校でも女子を見ながら授業時間内だったり、

休み時間に自慰をしていた。

それでも、割と、連れ出されるなりされて、

いじめられる時間も割合としてだいぶ多く、

パンツは湿っているし、そのままでいたいところにも関わらず、

殴られ蹴られ、

もはや、何が現実で何が妄想なのかわからないような、

中学校時代だった気がする。

思えば、あの浪人時代と同じくらい回数としては、

多くの自慰をしたと思う。

しかし、それにしても、自分の反省の様子が感じられないようなことを、

実際には書いてしまったけれども、

ただ、自分の性格がここまで曲がったのも、

やっぱり、あの女性を救えなかったからでもあるし、

綺麗事を嫌うのも、そうで、

綺麗事では、救えない人もいるし、

そうならそうで、

もしかしたら、自分も彼女と一緒に、

リストカットをするべきだったのかもしれない。

今の自分の感情と、もしかしたら、

少し似ているかもしれないと、やや思う。

いや、勿論彼女は自分とは多分相当違うと思うし、

自分は彼女と違って根性なしで、

リストカットをする勇気もなかったし、今もない。

しないうちは彼女と同じ視点には立てないだろうけれど、

これからも情けないけれど、できないと思う。

(今、左の手首を見て、傷が一カ所あるけれど、

これは多分怪我かなんかだろうし、

関係ないけれど、右手の傷は小学校のとき、

誰かに爪で切られた跡だった。

これは関係ないけれど、

自分自身殴られ蹴られ罵倒され、

死にかけてもいるし、

目を若干焼かれかけて失明しかけたし、

自分でもう、それ以上傷つける気なんて起きない。)

ここまで書いて、

さて、主張がなんなのか、という戸惑いになるのはいつものことだが、

特にそれは悪いとも思わないし、主張だけなら、

いかにも素っ気ないことになる。

あまりにも自慰と言い過ぎた気もするけれど、

今からまた自慰をすることになる。

というのはわからないけれど、

そうなる確率は割と高い。