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本音

本音

生きることに悩み、
その後生きることに終止符を打つ人、
また、それを余儀なくされる人。

僕は、現にその人達より、
どこまでも、幸せだと思う。

比べるまでもなく、幸せだと思う。

僕は、ただ、
昔いじめられたとか、50kg痩せました、すごいでしょ、
っていうようなことを言うばかり。
あとは、女性は美しいので男は触れていい存在ではない、みたいな。

現に相当いじめられてきましたし、
今でもそれが原因で消えていないものもあります。
詳しくはどう言って良いのかわからないので、あんまり言えませんが。
いじめっていうのは、終わったらそれで消え去るものでもないんですよ。
だから僕は今でも、社会に馴染めていないというか、
社会そのものが嫌いで、その文化も嫌いで。
だから、趣味は、とか、好きなことは、なんて言われても、
本当に、全然、答えられないんですよ。
自分にしか興味ないとか、言ってみることにしたりしてます。

でも現に、こうして、自分が孤独だっていうのを書くときって、
女性に好かれたい、っていう感情だけが渦巻いていたりもするんですよ。
孤独な自分、素敵でしょう、みたいなところばかりが先に出る。
現にその辺は、充分言われてますけどね。
それでも、ここまで自分が、暗さというものに固執するのは、
自分が好かれたいということと同じくらいに、

心の奥底に、
誰かを救いたい、という思いがあります。
自分の詩を読んで、感動したとか、言ってくれる人もいました。
それはもしかしたら、書いた中でも、良い面だけが現れた物だったのかもしれないけれど。
それで救えると思ったのも短絡的な考えかもしれません。
本当に救いを求めている人が自分の勝手な文章を読んだだけで、
救われるのか、というと、自信はありません。
なぜならば、そんな事を書けている自分というのは、
紛れもなく、恵まれているから、だと思うからです。

僕が、誰かを救いたい、と最初に思い始めたのは、
多分、自分が痩せたあたりからだったと思います。
15歳くらいでしたっけ。
その後色々あって、学校の体制がおかしいとか、
抑圧的だとか言って、高校は3年の7月始めくらいから不登校になって、
やめたわけですが…。
現に、その体制がおかしいとか、抑圧的、っていうのは、
正しいと思っているんですよ。
軍国主義はもう終わったんだ、と。
それに、学業ってもっと、受験みたいに閉ざされたものじゃない気がするんです。
誰かが正解を決めて、それで満足するようなものじゃない…。
そして、教師が、大きな態度を取るべきじゃない、と。
繊細な心っていうのを、全く理解していないです。
自分がやめた理由っていうのは、
僕自身が嫌なのもそうだったけれど、
そうやって、被害者というものをつくることによって、
今後の方向性みたいなのが、そこだけでも、変わればいいな、と思っていました。

特に、進学校、とか言いながら、無駄な行事はしっかりこなし、
ディベートするはずの時間みたいなのを全部、ねぷた祭りとかいう、
くだらないものに費やすような、対外的にだけいいように見せるような学校には…。
そこには限らないわけですけれど。

これまでの話から、自分のことを、根性がない、という人もいるかもしれない。
逃げだと思う人もいるかもしれない。
でも、現状の、生きづらさを感じさせる社会を、
変えようともしないほうが、僕にとっては、根性がなく、逃げなんじゃないかと思っていました。

何かをやらなければ、きっとこのまま同じく閉塞感が続いていく。
心の闇というものは、共感する存在がなければ、
ずっと、孤独というものと共鳴して、在り続けなければなりません。
だからこそ、どこかで、それを共有していかなければいけない気がします。

もちろん、心の闇だけがすべてではありません。
現実的に、貧困の問題もある。
家がない人も、たくさんいるし、
少し前まで、自分は、
貧しいのは男だけなのかとさえ思っていましたが、
でもその考えは全くもって違いました。

正直なところ、絶望している面もあります。
人々が、常に監視し、助けを無視し、
それが当たり前のように、笑っているわけです。
誰かが集団社会のルールから外れたことをすると、
騒ぎ立て、笑いものにし、その場で助けを求めていても、
自分に利益がないから、無視して通り過ぎる。

これが人間なのだと思うと、人間そのものの存在にも絶望しましたし、
正義っていうものは、一体何なのか、と不思議に思うのです。
思いやりって何なんだろう。
結局はそんなもの、存在しないんじゃないのか。

僕は幼い頃から、人には優しく、強いて言えば、
相手の言うことを何でも聞くような感じでした。

何か、物に対しても、強くあたったら、
「~に強くあたってごめんなさい。」というふうに、
毎回、毎回、謝っていたのです。

嘘をついたときにでも、神経質なくらい、
「~のあの場面は嘘でした、ごめんなさい。」というふうに、
なぜか、謝っていたのです。

なぜか、というけれど、当時の僕にとっては当然のことだった気がします。

そんな、潔癖症のような性格で、
何に対しても罪悪感しかなかった、
そして、いじめられても、決して、やり返すことが正しいとも思っていなかった。

当時の僕は、もしかしたら、相当、寛容な人だったし、優しさにあふれていたかもしれません。
そう勝手に自分が思っているだけの可能性もありますが。

そんな育ちで、50kgのダイエットや、高校に入るまでの1年の浪人なども含めて、
色々と、心の反動みたいなのも、出ているかもしれません。

きっと幸せに生きることもできる、でもそれで、過去の自分はどう思うのだろうか。
そんなことまで考えました。
贅沢な話だと思います。
今ではなく、過去の自分のために生きることが出来るっていうことは。

そして、今でも消えずにいるもの、また、心の闇。
そんなものが、ずっと、残り続けていて。
誰かを救いたい、けれどいじめた奴らに復讐だってしたい、単純に好かれたい。

色々な感情が混ざって、きっと、もはや、どれが目的なのかわからなくなっている。
人に優しく、でも、復讐…?でも、好かれたい…?
色々と、言われてきました。
破滅的な考えであることも。

でも、もう決着をつけるしかない、ということ。
自分自身が納得して、そして、それが誰かの闇を、少しでも紛らわすことができれば。

自分勝手ではあるけれど、僕はそういう思いを持っています。