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餓死しそうな猫を発見した少女がその猫のために猫の缶詰を万引きしてそれをあげる事が果たして悪い事なのか?

餓死しそうな猫がいたとしよう。
例えばこの時、とある少女が猫の缶詰を盗んで、その猫に分け与えたとして、
それは果たして「悪い」事なのだろうか。
勿論、自分でその缶詰を買うにこした事はないが、
その余裕がなくとも、「猫に与える」という「良い」とされている事を根拠として、
盗むという「悪い」とされている事をするのは、
果たして良い事なのか悪い事なのか。
ここにおいては、意見が分かれるとは思うのだが、
ひとまず何を持ってして「良い」事なのかは、基本的には「法」によって決められているだけだ。
あとは主観によるものだ。
ただ、ここでもしその「法」に「生類憐みの令」的なものを色濃く残していたものであるならば、
もしかしたらその少女はもの凄く賞賛され得たかもしれない。
現時点では、少なくとも国家は、そのような判断は下さないだろう。
ただひたすらに「万引き犯」として、「不良少女」として扱うのかもしれない。
その優しさに国家は気づく事もない。
これでいて、もし親が金持ちで、猫に缶詰を買うに十分なお小遣いを与えていて、
買って猫に与えたならば、多くの人が「良い」事だと誉め称えるのではないだろうか。
(猫よりもまず人間に与えよ、という提案がある場合以外には、善行と言えるものだろう。)
今の日本人の多くは、自分が知る範囲での正義感からしか、モノを見ていない。
他の視点からも見る事が出来る事に気づいていないのだ。
(その余裕がない時代だから、という事もあるとは思うのだが)
良い事、悪い事、常識。
何もかも、自分からすると「絶対的」たり得ない、曖昧な概念だ。
ただ、多くの人はそんな「曖昧な概念」を、「絶対的な概念」であるかのように信じている。
または、現時点での「正義感」を覆す事は出来ないだろうと諦めている。
親も、「身の程を知って生きよ」というように子供にしつけをする。
そして子供は、「決して今の権力関係を覆す事は出来ないのだ」と思い込み、希望を失う。
(自分からすると、そこまで「余裕」がないならば、子供など生むな、と思う。
 別に子供は自分から誕生したいと熱望していた訳ではないのだ。)
また、多くの学校では現在でも、集団社会から外れずに生きよ、
というようなステレオタイプな教育をいつまでも続けている。
そして、集団社会の歯車になって、無気力なまま国家の奴隷として生きていけ、という事なのだろう。
学校では教師達の何人かは、学校は小さな社会だ、等と言いながら、
権力関係を学べ、などという事をほのめかせる事すらある。
もはや権力によって主権までもただ国家に操作され去勢されてしまっている。
いくら、国家が存在する理由が、
セキュリティの確保(真っ当に国家の奴隷として生きていれば、基本的には安全に生活を送れる)などと言っても、
いくら法整備をしようとも、
人間は「死ぬ気」になれば何でもやるわけだから、本質的には意味がない。
万人の万人による闘争の状態というものは、国家があろうとなかろうと存在する。
日本においては、どこを見渡しても、冷戦状態が続いているように思う。
田舎には閉鎖空間とも言えるような雰囲気の中で、
その集団から外れるような行動を取った者には、村八分などの制裁を食らわす。
都会では、逆に無縁社会とも言える状態の場合が多く、
新自由主義によって更に勢いを増した自由競争によって、
利益の奪い合い、騙し合いは日常茶飯事だ。
勿論、金銭をめぐる闘争は、田舎でも都会でも、程度の差はあれ、存在するわけだが。
どの時代においても、国家がどう動くかによって左右されてしまう事があるのだ。
たとえ、原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、社会主義、共産主義と、
次々に変わっていったとしても、
国家がどう振る舞うかによって、結局は「自由」も訪れず、
「競争」も終わる事はない。
また、国家が暴走した時にも、国民が団結して国家を倒す事が出来るか、
出来たとしたら次の権力者は誰になるのか。
共産主義というものがうまく機能したとしても、
舵を取るのが誰か、という問題は決して解決される事はないだろう。
そして、利益配分が完全にうまくいく事も困難であるが、
それ以上に、異性関係においては、争いは避けられない。
つまり、どのような社会になろうとも、
「権力」というものは存在するとともに、
絶対的な基準は創られる事はないだろう。
もし「絶対的な基準」が出来るときには、
全体主義的な独裁が行われるか、
神的な存在が降臨して、ひたすら人々が崇拝しているかのどちらかだろう。
ここまで遠回りする必要があったのかは疑問だが、
ここで改めて問い直したい。
餓死しそうな猫を発見した少女がその猫のために猫の缶詰を万引きしてそれをあげる事が果たして悪い事なのか?
自分の答えは 何を持ってして「悪」と決めつけるかによる だ。