メニュー

「歴史的責任」について

 例えば、日本人であるのだから、日本の指導者が決めた事柄に対する歴史的責任を負うべきであるとか、過去の日本人から正の遺産を受けているから、負の遺産である歴史的責任も受け継ぐ必要があるという人達がいる。

 しかし、責任とは一般に、自由があることに伴って発生する概念である。つまり、自由な選択による、自由な行為に伴って、それに応じた責任が発生することになるわけである。あるいは、自由意志に基づいて生じるものであるとも言えるだろう。

 歴史的責任というものは、その性質からして、それ相応の権力を持たない限り、自らが選択した結果を反映できるものではない。確かに、責任が生じる権力者を支持していた人であれば、少しは責任があると言えるかもしれない。しかし、支持してもいない人達に責任は一切ないだろう。

 ましてや、生まれてもいない時代の事柄であれば尚更である。我々は生まれる国や時代を選ぶことが出来ない。生まれることすらも自らが選んだことではない。選択の余地すら与えられず、その国その時代に誕生させられたのである。過去の出来事に対する責任は生じる余地がないだろう。

 歴史的責任というものは、それを生じさせるに至った事柄に対して、自由な選択によって、直接的に影響を与えた人達が負うべきものでしかなく、それ以外の人達には関係のないことだろう。自由な選択によらない、環境に大きく左右される責任というのは、単なる妄想に過ぎないのではないだろうか。