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ブサイク芸人を消費する大衆について

 他人を見下すのは楽しいことである。差別行為をする人もいれば、自分より劣った人を眺めて優越感を得るという人もいる。悪意があるかどうかは別として、どちらの場合も楽しんでいることに変わりはない。
 人間のこうした感情を利用する典型的な例が、自らがいかにブサイクであるか、つまりいかに劣っているかをアピールする、ブサイク芸人である。彼らは自らが見下され、大衆に楽しまれることを職業としている。
 大衆は彼らを話題にして楽しみ、彼らとは違ってブサイクではないとして優越感を得ている。その上、ブサイクを自称しているため、それは差別ではないとして、罪悪感を感じずにいられるわけである。だからこそ、ブサイク芸人は需要がある。
 ただ、ブサイク芸人を楽しむ大衆は、彼らがブサイクであるという一面しか見ることが出来ていないように思われる。大衆が話題にするようなメディア露出の多いブサイク芸人というのは、人気があり、高収入を得ることができているわけである。
 そうした事情を踏まえれば、ほとんどの人は、彼らを劣った人間として見下し、優越感を得るということはできなくなるだろう。彼らよりも人気が無く、低収入だからである。しかし、それに気付く人はあまりに少ない。ほとんどの人は、ブサイク芸人を見下しているようでいて、実際には彼らに主導権を握られているのである。