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有名人が「反権力」を主張して大衆を扇動する構図について

 有名人が反権力を主張し、大衆が煽動されるということはしばしばある。この大衆を扇動して強者を倒そうとする運動というのは、まさしく強者だけに許された振る舞いであろう。

 にも関わらず、敵となる相手が圧倒的な権力者であった場合、強者であることが隠蔽され、大衆はいかにもその有名人が弱者であるかのように錯覚してしまう。つまり、敵対する権威・権力者がさらなる強者であれば、その強者が大衆には相対的に弱者に見えてしまうのである。

 そのため、例えばその有名人が彼より強い権力を持つ者によって弾圧されている旨を主張したりすれば、いとも簡単に大衆は彼らが弱者であり被害者であるとして擁護しようとするのである。

 しかし、彼らには圧倒的な発信力という権力が存在する。それはしばしば既存の権力をも凌駕するものであり、それもまた一つの権力と言えるだろう。そのため、実際には強者と強者の戦いと言って差し支えない状況なのである。

 唯一弱いのは、知名度も権力も持ち合わせていない大衆だけである。彼らは有名人に煽動され、利用され、駒として使われるばかりである。しかし、大衆はその事実に未だに気付かないし、気付こうともしない。感覚が麻痺してしまっているのである。