メニュー

被害者遺族、特に親について

 殺人事件などで被害者が既に死んでしまっている場合に、被害者遺族に発言の機会が数多く与えられ、彼らが加害者に対して反省を求めたりすることは少なくない。しかしそうした中で、被害者遺族の中でも特に親に関して、自らが子供を誕生させた責任を忘れ、傲慢になってしまう人があまりに多いように思う。
 彼らのうちでも、精神的苦痛を受けた報いとして、あるいは子供に賭けた投資金を回収するためだとして賠償金を受け取ろうと考えるような人達の態度には、子供を「物」あるいは「道具」としかみなしていなかったという事実が露呈しているように思われるし、もし賠償金を被害者の葬式代のためだけに使うのだとしても、子供を誕生させたのは親であり、遅かれ早かれ死ぬことには変わりがない以上、それも親が払うべきであろう。これが「払わない」ではなく「払えない」だとすれば、そのような貧しい家庭に子供を誕生させる親の考えはあまりに浅い。そうではなく、子供の復讐を代わりに行うために、重い刑罰を望んだり、賠償金を受け取ろうとするにしても、死んだ人がどう考えているのかを考えるのはナンセンスであり、結局のところ妄想に過ぎない。しかも、復讐を望んでいるという想像ができるのならば、親のことを憎んでいる可能性についても考えてもいいように思うのだが、全くもって彼らには罪悪感があるようには見えない。
 当然のことながら、子供は誕生させることがなければ誕生しなかったのである。誕生すればその後どのような人生が待ち受けているかはわからない。それを安易に考えていた間抜けな親が、いざ子供が悲惨な目に遭った後になってから「何故うちの子が」などと言って、これまた間抜け面で泣いたりして、被害者遺族としての悲痛な叫びとやらを訴えかけたりしているわけである。果たして「うちの子」だけは幸せに生きていけるとでも思っていたのだろうか。人間は生まれたら遅かれ早かれ死ぬのであるから、死に方に関して問うことがなければ、殺人者は死ぬ時期を早めただけであって、実際のところ殺人の真犯人は親だと言ってもよさそうなものである。そこまでは言わないにしても、そもそも親が勝手な判断で子供を誕生させることがなければその事件は起こらなかったのであるから、いくら自分達が被害者だという口調や面持ちであろうと、親は加害者の一員であると言えよう。事件の加害者に反省しろと言ったり賠償金を請求したり重い刑罰を望んだりするのではなく、一緒に反省すればよいのではないだろうか。