メニュー

「コスプレ」という虚構(フィクション)

 日本で所謂オタク文化が普及するにつれて、アニメや漫画、ゲームなどの登場人物やキャラクターに扮するコスプレも流行している。(厳密にはコスプレ(=コスチューム・プレイ)という用語には様々に意味するところがあるのだが、今回は先述の意味におけるもののみを取り扱う。)また、コスプレを行う人は「コスプレイヤー」などと呼ばれ親しまれているようである。
 そもそもの「コスプレ」の起こりとしては、世界的には、アメリカにおける1960年代後半からSF大会のイベントにおいて登場人物の仮装大会を行っていたことであると考えられている(勿論、キリスト教圏において古くから行われるハロウィンの仮装についても、広義の意味ではコスプレであると言えるだろう。)が、それはともかくとして、日本においては1980年代前後からコミックマーケットの流行などとともに「コスプレ」自体が知られていき、1990年頃からブームになったと言えるだろう。さて、1990年頃からはコスプレ系飲食店や風俗店なども登場したり、メイドやレースクイーンなどの制服物の衣装がよく着用されたりしたとともに、ビジュアル系バンドブームなどによって、広義の意味でのコスプレが徐々に一般的になっていった。そのような土台があった上で、1990年代末~2000年代以降には、アニメや、漫画とともにネットの普及によってコスプレイヤーがネットアイドル的なポジションを得る場面も増えていた。自主制作や同人でのコスプレ写真集やCD-ROM写真集(コスプレイヤーの間ではよく「ROM(ロム)」と呼ばれている)を作成したりなど、ビジネス展開もなされていった。そしてツイッターなどのSNSにより所謂オタク系文化が急激に普及していき、それとともにコスプレもその流れで浸透していった。
 
 さて、今回注視するのは2000年代から現在に至るまで続いている、「コスプレ」の奇妙な普及のなされ方である。
 先述したように、「コスプレ」というのはそもそもアニメや漫画、ゲームなどのキャラクターに扮する行為であり、二次創作(またはシミュラークル)であると言えるだろう。しかも、本来的には完全に趣味の領域であり、それ自体に価値が付与されるというものではない。仲間同士で楽しむためのものでしかないのである。
 しかしながら、これも先述のように、自主制作や同人でのコスプレ写真集やCD-ROM写真集を作成し販売するなどのビジネス展開もなされていったのである。自主制作や同人作品自体は構わないとしても、その手順があまりに巧妙で、現状では「バカな奴(男女問わず)を釣って稼ぐ」ことが主な目的になっていると言える。「コスプレ」と言いながらも着エロのようなものであり、キャラクターの真似という要請をほぼ無視しているような人が多くなってきているのである。
 確かにこの流れはビジネス展開、つまり「金を稼ぐ」という目的のために「コスプレ」を利用する以上は避けられないことであるかもしれないが、「自分を魅せる」ために「コスプレ」をするというのは、「コスプレ」の後に本当の目的の物(商品)があるという点では「プロダクトローンチ」であり、これは手放しで賞賛することはできない危険なものである。
 もしこれが成立した上で有意義であると言える場面があるとすれば、「可愛い(カッコいい)」にも関わらず、見てもらえるチャンスがない人達が発見される機会を得るという部分でしかないが、実際のところ「コスプレ」においては正当評価は全くもってなされていないと言える。現実的には多くの場合「可愛い(カッコいい)」かどうかは問わず、とりあえずは売名に成功して見てもらえるようになったり、元々資金があって多くの人を囲い込むか、コミュニケーション能力があって多くの人をまとめあげることが出来たか、性的な接待などによって多くの人の熱烈な支持を得ることに戦略的に成功した場合に限られるのであって、そのような人達がお互いの活動の規模拡大のためにリスト共有のようなものをしたり、必要に応じてマッチングをするだけにとどまっているようである。
 つまり、有意義に「コスプレ」が作用しているとは決して言えないということである。また、本来的な趣味としての「コスプレ」の意義は、「コスプレ」が「公的なもの」になればなるほど薄れてきた。これを助長した一因として、「コスプレイヤーズアーカイブ」や「コスプレCure」などの、コスプレイヤーのためのSNSが挙げられるだろう。特に例に挙げた2つには圧倒的な数のコスプレイヤーが登録していて、漫然と眺める分には楽しそうにも見えなくもないようだが、実際には閲覧数やスターの数の争いなどによって、友達づくりが目的の人であっても、実際にやってみると少なからずの人が所謂「派閥」への入会を余儀なくされるようである。そして、もしそれを断ると友人同士のオフ会などに誘ってもらえなかったり、悪評を匿名掲示板「2ちゃんねる」に書かれたり(勿論これは自分の「売名」のための自演で書かれている場合も非常に多いため、見極めるのは難しい)など、様々な被害が出てくる。しかも、その「派閥」の内部でさえも実際には陰湿な権力争いのようなものがあり、蹴落とすために戦略を立て合っている。しかもこの他にも、出会い系サイトのような形で使われる場合も多く、女性が男性に撮影を依頼する場合、そのカメラマンが信頼できる人物かどうかの見極めも難しい場合が多い。被害を受けたらすぐにそれを報告すべきなのだが、被害者が口止めをされていたり弱みを握られている場合もあり、迂闊にその被害を書くことができない場合もあるのである。普通に「コスプレ」活動をすることでさえ、決して安全な行為とは言えない。勿論、先述したように「公的なもの」になったことにより、以前よりもコスプレイヤー間における監視の目が強くなり、カメラマンは迂闊なことをすればすぐに晒され、事実上「追放」されることにはなるため、その点は評価すべきかもしれない。しかしそもそも個人活動的な「コスプレ」自体が良い影響を及ぼしていないように思えるのである。
 
 また、これらの個人活動とは別に、最近ではアニメ声優がアニメ内のグループのメンバーとして声を当てたキャラクターのコスプレをしたり、アイドル活動をしている人が趣味と称しながら売名目的でコスプレ活動もするなど、更に「コスプレ」が「公的なもの」になっていくことにより、個人活動のコスプレイヤーの数もどんどん増えていくことにはなると思うのだが、決してこの流れは歓迎すべきではないだろう。
 例え多少なりとも「コスプレ」活動により友達ができたり、チヤホヤされたりしても、採算はほぼ取れないと言って良いだろう。相当戦略を練らなければ、大抵の場合金銭的な問題から活動中止に追い込まれていく。それを防ぐために無理な仕事をしたりしても、決して本人にとって良い影響はないだろう。そもそも「コスプレ」など始めるべきではなかったと思う自分と、自分自身の活動によって形成された「コスプレイヤー」というアイデンティティの間で苦悩し続けることになる。
 以上のように最近の「コスプレ」事情を元に様々に考察してきたが、個人的には、「コスプレ」なんてものはやらなくていいのではないか、というのが率直な意見である。友達づくりなら別の方法がたくさんあるし、自分を魅せたいのならばもっと個性を活かせるような活動をするべきではないかと思う。とは言え、現実的にはそれが難しいがゆえに妥協点として「コスプレ」が現状ちょうどいいポジションに位置しているのかもしれないし、それは理解しているつもりなのだが、やはり「コスプレ」だけに頼るというのは危険であると思う。同時に自分の本当に主張したいことを主張していくことが大事ではないだろうか。つまり、売名ツールくらいにしか利用できないだろうということである。
 「コスプレ」というのは個性的なものでもなければ、魅力的なものでもない。自分がアニメや漫画、ゲームなどのキャラクターに扮するという没個性を要請される行為をした上で、個性を表明することは難しい。もし個性的であろうとすればそれは「コスプレ」ではないし、「コスプレ」をしようとするならば、それは没個性でなければならなくなるだろう。その中庸は果たしてどのように見い出すことができるのだろうか。極めて難しいだろう。つまり、「コスプレ」も「コスプレイヤー」も虚構(フィクション)としてしか両立し得ない。「コスプレ」をしようとすれば、「コスプレイヤー」自身は虚構であり、「コスプレ」の要請を拒否し、個性的であろうとするならば、それは「コスプレ」ではないし、行為の主体は「コスプレイヤー」ではない。
 「コスプレ」と称しながら、もはや「着エロ」と同様の商売をしたり、常に流行のアニメキャラクターを見定め、その「コスプレ」をしてバカな奴を大量に釣ることが今や「コスプレ」なのであろう。男女問わず、「コスプレ」に釣られて依存してしまうバカな奴らが大量発生していることも、それをマネタイズできると考えて実行する奴らがいることも、どちらも問題である。このようなものが今や「サブカルチャー」の一つとして認識されているという事実は深刻ではないだろうか。