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「客観的」という言葉について

 「客観的」という言葉がよく使われているが、何を基準にするかによって、その内容は変わってしまうのであり、実際には「客観的」なものなど存在しない。いくら自分が「客観的」であると主張したところで、それは自分にとって「客観的」であるということでしかない。
 あらゆる存在は主観や主体を離れて独立に存在することはできないし、特定の立場にとらわれずに物事を見たり考えたりすることもできない。誰しもが自分というフィルターを通して物事を捉える以上、何らかの「主観性」を含んでしまうわけである。
 ゆえに、あらゆる存在は客観的ではないし、客観的に物事を見ることも出来ない。せいぜい、個々人が物事を捉えた結果として「客観的らしい」ものが現れ、多くの人の支持を集めた「客観的らしい」ものに対して「客観的」なものであると決めつけることしかできないのである。