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多くの親が子供に吐く嘘と、親の欺瞞性について

 多くの親は子供に対して、「勉強をすれば偉くなれる」「夢は諦めなければ必ず叶う」「人間は皆平等だ」「ルールは守らなければならない」などという嘘を吐く。
 「勉強をすれば偉くなれる」と言っても、単に親は勉強をした結果として特定の権威ある大学に入り、真っ当に卒業して、真っ当な安定職に就いてほしいと思っているだけだろう。しかも、何度も浪人したりするようであれば、妥協してどこかに就職してほしいと思い始め、それを提案するであろう。また、人間関係において問題が生じたりして、大学に入らずに家で独学に励む場合には、それによって何らかの成果が出なければ、ついには「勉強するだけでは偉くはなれない」などと言い出す。また、大学を卒業しても就職をしなかったり、特に一切カネを稼がない場合などにおいても同様のことを言い出すであろう。
 「夢は諦めなければ必ず叶う」と言っても、可能であれば本人が希望する職業に就いてほしいと思っているが、その実現に対して、親の判断からすれば時間やカネがかかりすぎていたり、可能性が低いと判断できる場合には、夢に向かっていつまでも努力し続けるよりも、これまた妥協して早く就職してほしいと思い、それを提案するであろう。そして、子供の頃には「夢を決して諦めるな」と言い、その夢に向かって努力することを推奨されるが、大人になってその夢が叶う可能性が低くなれば、今度は「現実を見ろ」だとか「叶わない夢もある」などと言い出す。
 「人間は皆平等だ」と言っても、この世の中は「持つ者」と「持たざる者」とに明確に分かれており、一生涯働かなくても暮らしていけるだけの資産を持っている人は、生まれたときから将来の幸福がある程度約束されている一方、貧困家庭に生まれ、ろくな教育を受けられず、低い賃金によって疎外された労働をし続けなければならない人もいる。現実は「皆平等」などという綺麗事とはかけ離れているのである。
 「ルールは守らなければならない」というのが、単なる道徳的な言説、つまりは詭弁であれば、それは他人に強要できるものではないのであり、「ルール」に関して言えることは相手が自分よりも立場が上な場合には「守らなければ権力による制裁がある」というだけである。その制裁を恐れないとすれば「ルールは守らなくてもいい」のであるし、さらにいえば「ルール違反がバレなければ守らなくてもいい」とさえ言える。「制裁から逃れられる」のであれば「守らなくてもいい」ということである。
 子供に対してこれらのように分かり切った嘘を意図的にかつ平然と吐く親のほとんどは、教育という名目で子供に対して嘘を垂れ流すことを正当化し切っており、多くの場合、罪悪感すら感じていないようである。そしてさらに悪質なことに、言葉通りの意味では通用しないと気づき、不都合が出てくれば随時撤回し、その言葉の真意を理解しないことに対する理解力の欠如を責め立て、自らが嘘を吐いたことを正当化する。嘘を吐いて騙しておけばある程度の年齢になれば臨機応変に行動するだろうと勝手に予想するのではなく、嘘を吐かなければよかったのである。