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人に「迷惑」をかけずに生きることはできない。

 「人に迷惑をかけずに生きろ」という人がいる。しかし人は「迷惑」をかけないように生きても結果的に「迷惑」をかけてしまうこともあれば、誰かに「迷惑」をかけてやろうと思っていても結果的には「迷惑」どころかむしろ周りから感謝される行いをしてしまうこともある。
 しかしいずれにしてもその「結果」について人間は表面的なものしか認識できない。「人に迷惑をかけるな」などと言われている場合の「迷惑」というのは、あくまで表面的で、当事者の間でしか共有し得ない「迷惑」でしかない。誰にも「迷惑」をかけないとすればもはや何も出来なくなってくるだろう。
 存在するのは、誰を大切にするか、という選択だけであり、大切な存在のために、他の何者かに迷惑をかけることを要請されるのである。例えばAとBが敵対しているとして、CがもしAを助ければBに迷惑をかけることになり、Bを助ければAに迷惑をかけることになる。(同様に、CがもしAに迷惑をかければBはその分助かることになるし、Bに迷惑をかければAはその分助かることになる。)
 人間が社会的な存在である以上、これらのことが繰り返されていく。もし誰にも迷惑をかけないようにするとしたら、完全に自給自足のみで生きていくことになるはずだ。しかし、もしそうだとしても自給自足できる環境をつくるまでの利害関係を遡ればおそらく、誰かに迷惑をかけているはずである。
 また、人間は生まれてくるときにすでに親に迷惑をかけているかもしれないし、育つ過程において誰にも迷惑をかけない人はおそらくいないであろう。しかし違う捉え方をしてみれば、そもそも生まれたくなかった人(子供)にとっては、親がどんなに偽善的に振る舞ったとしても、勝手に産んでしまった親によって「迷惑」をかけられたと感じるかもしれない。また、誰かが誰かに「迷惑」をかけた結果として自分も生まれているはずである。
 人は誰かに「迷惑」をかけることでしか生きていくことは出来ないだろう。そもそも何が「迷惑」かが明確に定義されて共通前提として存在することができず、主観的な判断によって「迷惑」かどうかを決めるしかない以上、「迷惑」をかけずに生きていくということ自体無理な話なのである。