メニュー

起きて思ったことと言いたいこと。

「起きて思ったことと言いたいこと。」 2012年11月19日19:13
日記を書くとタメがきかないからあまり日記書かないわけだけど。
ただなんとなく書いておきたいものがあったんでね。
割と長いので、それこそ、気が向くときがあるとすれば読むのも面白いんじゃないか、っていうところだね。
見直してないから、そのまんま思い出したことと思いつき。
日記ってそういうもんじゃないかって思うね。
別に、ありふれたことを書く必要もない。
さて、今日の夢の中では、高校にいたらしい。
まぁ、中学校の夢も前半に見たのか、それとも夢の中で思い出していたのか。
思いあたる気がしないでもないけど、
ただ起きる直前が高校だったらしいのでとりあえずそれ。
さて、夢だからこそ、自分の言いたいことが繰り返されるね。
どっかで見たような教師だかが出てきて、
大したこともないこともないことで次々に色々な人が、学校を辞めるように怒鳴られていた。
自分がそんな中、机を突き飛ばして、教壇に立ったところから話しようかね。
そこでの自分の演説を軽く思い出そう。
さて、一部今の思いつきでつなげつつ演説。
「俺にはひとつ言いたいことがある。
お前ら教師はなんでいつも一辺倒な対応しかできないのか。
何か面倒なことがあったらすぐ逃げるくせに。
それにお前ら、いっつも人の個性ってのを認めようとしないな。
そして何かあればすぐ殴るか追放か。
その一辺倒なんじゃないか。
あと、スカート短い、なんていう奴もいるわけだが、
何様のつもりだ、お前らはスカートを見たくて仕方がないってか。
見る権利がねえって話だ。
お前らこそ、スカートを見ることだけに生きがいを見つけてるのなら教師を辞めろ。
そして、個性を押しつぶすことだけに生きがいを見つけている奴もいるが、
いったいお前らに何の権利があると思ってるんだ。
創造主にでもなったつもりか。
お前らみたいな、無駄な慣習や規則だけに縛られた奴らの
その個性を俺はつぶしてみたいもんだなあ。
まずお前らのやってることは洗脳でしかない。
そしてお前ら自身も洗脳されているに過ぎない。
そんな創り上げられた正義感なんてものを、
見知らぬ誰かに、しかも若い誰かに、押し付ける権利が
お前らにあると思ってんのか。
ここでひとつ言いたいことがある。
こうやって追い出そうとしながらも、
学校を辞める人がいないだろうと思ってるからそうしてるんだろうが、
実際、個性を押しつぶされてストレスを抱えている人も、
常に帰りたいしか考えにない人がたくさんいることを俺は知っている。
そんな状況にまで追い込んだのは紛れも無くお前ら教師だ。
それにも関わらず罪の意識はまるでない。
俺の中では、教師もいじめの担い手であると考えている。
さっきのだってどう考えても、いじめでしかないな。
さっきのでないにしても、この世の中にはそうしたいじめがある。
人と性格が違ったりすると、それを必死に、正しいと思っている方向に、
変えようとする。
時には殴り、時には怒鳴る。
明らかに理不尽なものだって数多くある。
そういう繰り返しの中で、不登校なり引きこもりなりになるんだよ。
中には自殺する人だっている。
そういうのを見るとやはり、教師も、いじめる奴、に入っていることがわかる。
俺は今でもいじめた奴を恨んでいるし、殺意もある。
俺が今生きているのは、奴らを殺さなければならないという意志があるからだ。
俺は、いじめられた憎しみだけを糧に今を生きているんだよ。
お前らがその、いじめる奴に仲間入りして、殺意をもたれることだってきっと遠くは無い。
常に殺されると思って、言動に気をつけろよ。
まあ、もう遅いかもしれないがな。」
そんな感じで自分は教室を出て行ったあたりで起きたような気がする。
だいぶ作りもあるが、こんな感じだった気がするね。
なぜか後ろのほうに教師がたくさんいた気がするが、それならなおいい。
さて、あとは言わなきゃいけないと思ったことを言ってこうかね。
これまでも似たようなもんだけど。
日本って、
誰かと同じでないなら、いじめてそれを誰かと同じにする、なんてことがたくさんある。
これも日本独特の島国意識っていうか、そこらへんは調べてもらうしかないかもしれん。
人それぞれ何が原因かってのはわからないけれど。
ともかくそうした日本特有の何かが、いじめを正当化しているらしい。
まるで正しいことをしているかのようにふるまう。
教師にしても、いじめる人が多くなれば、そちらの勢力につく。
なぜなら奴らの大半は、多数派の意見に味方するからだ。
もちろん大きな態度をとれるのは、
多数派が、教師の意見に従う、または従わないにしろ、
反抗を試みない。
意見で勝負しようという人がいないからね。
さて、あとはそろそろ生徒のいじめってのを言ってこうかね。
これについては、太ってたからいじめられた、のか、
人とは性格が違うからいじめられた、のか、
そこらへん言っても仕方ない。
なぜなら、その原因を探ること自体、いじめを正当化してるわけだから。
いじめられている状態を書くこととしても、
それこそ意見としては、いじめられている、つらい。
それを形を変えて繰り返すしかないからどうしようもないけれど、
今回少し言おうと思ったのは、
いじめられた憎しみがどこにいくかっていう話。
よく殺人者がいじめられた経験があってどうこうっていうのもある。
無差別なら駄目だけれど、いじめた奴だったならそれは正しいことなんじゃないかと思うね。
いじめが法律でまともに裁かれない(証拠がないなどと言って逃げられる)のなら、
自分が「裁く」しかないね。
そうしていじめの復讐を果たした死刑囚なり、無期懲役なり、がいたとしても、
素直に、おめでとう、と言いたいね。
殺された側は、自業自得。
自分が殺されるまでのことをしたってこと。
言うの二度目だけれど、無差別は駄目だし困るね。
だって誰にだって可能性が出てくるわけだ。
もう自分なんてね、それが怖くて怖くて外に出られないって時期あったね。
自分がそれだけの憎しみを持っていて、ありえないことでもない、と思うことだからね。
そういう心理状態があるってのを知っているから、単純に、怖い。
あと、まあ、引きこもりについても簡単に言いたいことがあるわけで。
自分自身今もそういうところがあるから何とも言えないけれど、
今は抑圧するものがないのか、それこそこうやって物を言ってるからなのかわからないが、
壁を殴ったりはあまりしないね。
殴ったとしても硬いから穴があく気配がない。
青森にいたときは、これでもかというほど殴って穴あけたね。
そのたびにダンボールでつめるっていうね。
引きこもりに共通のことなんじゃないかと今は思うね、壁を殴るってのは。
壁を殴るんじゃなくて親を殴るケースもあるわけだけど、
自分はどっちかっていうと壁殴り専門に近い気がする。
いや、中学校にいるとき思い返すと親ひたすら押してたね。
殴りも父親にはあった気がするけど。
それが憎しみの流れ。
いじめられた奴に対してできないなら、他の身近な物か、誰かか。
それこそ、親なり家族なり殺すケースもあるわけだ。
もちろん考えとしちゃ、
こんだけいじめられるような苦しいこの世界に産んだ奴が悪い、
というふうになると、少なくとも、結論が出た、ということなんだろう。
散々、そういうことを親にしつこく言ってきたから、批判するつもりはない。
違いは、実際に殺すかどうか。思想としては近いわけね。
でもやっぱりそれよりなら、いじめた奴に復讐するってのが一番いいんじゃないかと思うね。
あともうひとつ、自分は毎回止めようとするのは自殺だね。
だって、死ぬ必要がないわけだから。
もしいじめられて死にたいなんて思うのなら、せめていじめた奴を殺してからにしてほしいと
思うわけだけれど、あんまり言うとここらへん、何か起こりそうだからやめとこう。
相当言いたいことは伝わった気がする。
今回は割と強めな感じの文章を書いたってことで、
自分の中では安心した。
自分自身にね。