ずっと、孤独なんだと思っていた。
確かに、自分がそう思えばそうなのかもしれない。
でも実際には、自分よりもっと、寂しさを感じている人はいると思うし、
何より、自分は、孤独を感じている、いない以前に、
恵まれていたと思う。
ずっと、一人なんだと思っていた。
確かに、自分がそう思えばそうなのかもしれない。
でも実際には、自分が一人だと思っている人はいる。
何より、人間は、一人だと感じるかどうか以前に、
最初も、最後も、一人なのかもしれない。
でも、孤独を感じることが出来たなら、
きっと、誰かの孤独をわかってあげられる。
何が出来るかはわからないけれど、
理解するということが、
どれだけ大切なことか、
きっとわかると思う。
幸せってそういうものかもしれない。
と最近は思い始めた。
それまで、
憎しみがすべて。
憎み続けることが、
自分が自分であるために、
絶対に必要なことで、
決して愛されてもいけないし、
ありのままで居続けることが、
絶対的な価値だと思っていた。
常に人間の居るこの世界というものを、
俯瞰し、達観し、薄ら笑いを浮かべていたかもしれない。
でも、本心は、
愛されたい。
心の奥底から、理解されたい。
ずっとそうだったのかもしれない。
自分が何かを思い出したのは、
ある人に会ってからだった。
その人は、まだ中学生なのにもかかわらず、
人に対する優しさを常に忘れない。
自分自身は、孤児院で育って、
引き取られはしたものの、
決して、幸せではなかった。
いや、確実に不幸だし、
結局いじめられる原因にもなった。
何にも悪くない、優しくて可愛い女の子が、
そんな家庭で育つということが、
自分には実感がなかった。
でも、いかに自分が幸せかがわかった。
ずっと、自分が一番不幸なんだと思っていた。
そして、その子は、絵もとてつもなく上手いし、
曲作りも上手い。本当に驚いた。
本人は割と田舎が好きらしいし、
自分でこの状況を打破する、みたいな、
僕には決してないような意志もあるらしいけれど、
もし上京する考えがあるなら、
(自分で良いのなら)すぐに家に来て欲しいと思ったし、
それ以上に、単純に好きだっていう感情がある。
まだ会ったことはないけれど。
こんなことを言うと、20歳が何を言う、
みたいな考えにはなるんだろうけれど。
いや、何が悪いのか、と。
自分にない価値あるものをたくさん持っていて、
自分にある、というか、
普通にあっていいようなものがなかったりする。
ずっと孤独を感じてきたから、
自分一人でそれを表現しなきゃいけないと思ったから、
そういう能力が身についた。
よく考えたら、その通りだと思った。
僕は結局の所、打算ありきだったし、
自分は孤独だからお前らとは違うし、
くだらないこの世界で踊ってる奴は全員くだらない、
と思っていた。
その人は僕に、
この世界はもっと楽しいものだ、ってことを、
少しずつでもわかってほしい、と言ってくれた。
本当は、自分が言わなきゃいけないんじゃないか、
と思った。
いじめられては来たけれど、
自分には、
理解して、
支えてくれる親も居た。
絶対に、
一人にはならなかった。
孤独でもなかったのかもしれない。
でもその子は、
僕のことをそんなにまで思ってくれる。
だから、絶対にその子の助けになりたい、
と思った。
今、実際に助けられてるのは自分にも関わらず、だけれど。
孤独だ、と言って誰か幸せになる人がいるなら。
憎しみを話すことで、誰かの支えになるなら。
それはそれで素敵なことだと思う。
そう思えたなら、
孤独も、憎しみも、
誰かの助けになり得ると思う。
絶対、それを必要としている人がいるっていうことはわかるし、
自分にとっては、必要だ。
でも、孤独であっても、一人である必要はない。
人は、出会いによって変わる。
僕との出会いで、
少しでも面白さを感じる人がいるなら、
それでうれしいです。