七夕って何なんだろうね。
クリスマスも七夕もそうだけど、
ただただ僕は孤独感を感じるだけだね。
誰かと誰かが一緒にいて、
それを見てはただひたすらに孤独感を感じ。
本当に嫌だね。
何が七夕だよ。
こういう、意味もないものって本当に嫌いだね。
そりゃ、何か物が売れて、稼ぐところは稼ぐんだろうし。
ビジネス的には、この七夕ってのはそこそこのものなんだろうね。
でも、自分からするとただただ嫌悪感しかないね。
幸せを願えだとか言えるのは、幸せであるからだよね。
自分が幸せでないなら、他の誰かの幸せなんて、絶対に願えない。
自分の事を愛せないなら誰も愛せないのと同じだよね。
というかね、
単純に、何なんだろうね。
誰かの幸せには、誰かの不幸があるんだよ。
恋愛っていうのは、ゼロサムゲームだよ。
負けたら、ストーカーになるか、誰かで妥協しなきゃいけない。
お互いが好きで居たときがあったら、
それが祝福されたりして。
片方だけだとしたら、
それが批判されたりして。
曖昧だよね。
誰もが幸せになることなんて、決して無いんだよ。
決してない。
自分の不幸が誰かの幸せにつながる、なんて、
心の底から言えるはずがないよね。
そう言って、優しいと思われる、アプリオリなものがないと、
絶対に、その考えはあり得ない。
僕は少なくともそう思う。
自分のことしか考えていない、って。
当たり前だよ。
人間は誰しもが、自分のことしか考えていないよ。
自分のために誰かを好きになり。
自分のために誰かを嫌いになり。
自分のために誰かを傷つける。
そんなもんだよ。
でも相手にそう思わせた瞬間。
そこで終わりかもしれないんだよ。
相手に不快になってもらったら、終わりかもしれない。
一つ一つの行動が、
相手の好感度につながっていく。
人間は、正直さだけでは、好かれない。
見た目が良くても好かれないんだよ。
いかに相手を好きでも、無視されるかもしれない。
いかに、相手に、自分が魅力的に見えるか、なんだよ、多分。
そして、いかに、相手に遠慮しないか。
好きだと、何にも話せないんだよ、案外。
というより、完全に片想いなのがわかっていたら、話せない。
相手も好きだという前提で話せる。
でも、相手に少しでも嫌われるところが見えたとしたら。
きっと、それは他の何かしらの行動につながるに違いない。
好き、って何だ、って。
その人と一緒に居たい、という感情だよ。
でもきっと、本当に、心から好きでも、
その思いが全く伝わらないとしたら。
いつか、それは違う感情に変わっていくのかもしれない。
嫌いといわれたり、無視され続けたらそれはきっと愛から愛憎に変わり。
友達にでもなれたなら、もしかしたらいつか、という希望の思いで、
少しは満たされるのかもしれない。
でもきっとそれも強がりでしかない。
一途に愛されたい。
これはきっと、確実だと思う。
でも嫌われたくないなら、
そんなもの、望んだらいけない。
一緒に居られなきゃ、自分を保てないんだから。
少しでも、どこかで、つながらなきゃ、
生きる希望も持てないんだから。
そう。