人間である以上、他の動物や植物の犠牲の上で生きているということは実感する。
当たり前のように食べる肉なども、実際は相当なまでに、
悲惨な現場があった上で、食卓に並べられる。
でもそれを知らない人にとっては、当たり前のようになっていて、
自分もそれが当然だと思って生きてきた。
自分は、相当いじめられてきたわけではあるけれど、
当時は重宝されて育ってきていたし、体格がそれを物語っていた。
それが理由でいじめられたことは何とも言えないとともに、
正直で嘘をつかないような素直さを持って育ったがために、
そこも周りから疎外された原因だったのも不思議ではある。
けれど生きること自体も出来ない人は、
この世の中にはたくさんいる。
自分はいじめられて、憎しみ、悲しみ、孤独感を持って生きてきた。
死にかけるようなことも何度もあった。
死のうと思ったことも何度もあった。
けれど、そこばかりが強調されて、
自分がこの世界で一番不幸であるだろうなと思っていた。
生まれ持って美しく育って、頭も良く、当時は運動も出来た。
それを生かしさえすれば、この世界を支配出来る、とさえ思っていたかもしれない。
いや、当時はそこまでの考えは正直言うとなかったかもしれない。
そんな状況にあって、いじめられ初めて、
正直な話が、太っていたからいじめられた、ということもあるけれど、
太る前からいじめられていたと思う。
それは程度の問題にはなるけれど。
その時期はどうあれ、
一度いじめられる経験をすると、
周りに対する反感や、この世界に対する反感にまで広がる場合もあるけれど、
その範囲はどうあれ、倒してやりたいという欲望が出てくるんだと思う。
周りというものを俯瞰して見るようになる。
こんなくだらない奴らを、全員消してやろう、と思った。
今でもそういう考えはないわけでもない。
けれど、結局のところ、相対的にどうか、な気もする。
恵まれていたかもしれない。
確かにいじめられてはいたし、憎しみもある。
そのぶつけどころというのも難しい。
そして、その過去を埋めるような人もいない、という、
現状もそういう意識を上乗せしている気がする。
自分は、いかに不幸であったか。
そしてそれを共感してもらいたいと思った。
いわば、不幸な人を考えたらキリがない。
日本に生まれてこうして平然と生きていられること自体、
幸せなことなのかもしれないし、
かといって、生まれてこなければ楽だった、
と思うときも最近は常にある。
それは確かに今愛されていなければ、
そういう考えに至ることにはなる。
けれど、幸せな人もいる。
その幸せを見るたびに、
憎み、この世界への破壊衝動がよぎる。
破壊衝動もそれはあるけれど、
正直な考えとして、
人間っていうのは、衰退なり滅亡なりしたほうが、
幸せなんじゃないかとは思う。
これはある意味で人間に対する愛情であり、
一番好きな生物も嫌いな生物も人間という、
ハッキリとした考えの上で言っている。
というか、女の人だけ無限に生きられるような世界ならいいね。
それが訪れることがあるとするならば、
男は自分も含め全員いなくなったとしても良いなとさえ思える。
けれどそんな世界はきっと訪れないんじゃないかとは思う。
男と女の区別が無くなるときはあるかもしれないけれど。
長くなったけれど、
結局言いたいことは、
幸せも不幸も見たらキリがなくて、
自分が一番不幸だと思っていても、
それは違うかもしれないし、
かといって一番幸せなことは確実にないけれど、
不幸の度合いもある意味で主観的にしか見ることは出来ないし、
結局自分はいじめられてきたし彼女もいないし、
正直これと言って頻繁に会うような友達もいないし、
億万長者でもないし、
そういう風に考えたときに、やっぱり、
いつかはこの世界を支配してやろう。
そして女の子にモテたい!!!
というのが正直な意見。
こういう欲望があっても、それがすり抜けていくかのような日常。
(モテるというかろくに女の子と話す機会もないし。)
いつ死ぬのか生きていられるのかわからないような世界。
何もかもが曖昧で、肌のぬくもりも愛情も感じられない日々が、
やはり自分自身を苦しめることになっていて、
そんな中でやはりこれからも、
どう相対的に考えて幸せであるかを考えたとしても、
憎しみは消えないんだろうと思う。
それが少しは薄れることがあるときは、
自分のことを愛してくれる人がいる、という実感だろうと思う。
ああ、癒やされたい。