これまで幾度となく、自分が不幸であるかのように思っていた。
それは今ならハッキリと、違う、と言える。
自分の知らないどこかでは、異常なまでに、不幸で辛い現状が繰り広げられている。
そこに自分が立ち入ったとしたら、それを止めることが出来るだろうか。
少なくとも今の自分なら絶対に止める、と言いたい。
言葉で何を言ったとしても、結局のところは何の助けにもなっていない。
人を一人助けることも出来ていない。
自分は、すべてを救おう、だとか、すべてを、という意識が強い。
誰かだけを救う、というのでは無く、すべてを、という意識。
そして、僕は誰一人として救っていない気がする。
その時々に、僕はこうである、というだけだ。
そろそろ、自分も、本当に、救いを提供する人になりたいと思っている。
誰から見ても、優しい人間でありたい。
自分が不幸だ、なんて言っている場合ではないな、と思う。
そうわかっても、きっとすぐにまた、
自分自身が主観的に不幸である、という結論を出してしまうことだろう。
けれど、これから先どんなことがあろうと、客観的に不幸である、と思うことはない。
それは、自分が少しでも、以前より、人間の本質だとかを知ったからかもしれない。
どこにも正義はない。
どこにも優しさはない、かもしれない。
少なくとも、閉鎖されたどこかに、優しさはない。
学校だとかは特にそれにあたる。
自分がされたことを公の場でされたとしたら、
それは大変な事だろうけれど、
閉鎖された空間だからこそ、大変な事が起こっている。
勿論、自分が、と言ってしまったけれど、
正直な話、自分が殴られただとか蹴られただとか、
悪口を言われた、は言う必要があるかわからないけれど、
他にもっと辛かった人はたくさんいると思う。
もしかしたらそれはこれを見ているあなたかもしれないし、
周りの誰かかもしれない。
学校って、恐ろしいものですよね。
教育、なんて大義名分で閉じ込めていい場所ではないです。
いつ何があるかわからない。
守られているわけでもないんですよね。
だから、何かあったとしたら、辞めてもいいと思ってます。
学校に行きたくないならそれもまた選択。
自分は、学校に殺される、という人がいるのを見ると本当に辛いです。
そして、誰かを傷つけてもそれを忘れて、
平気で社会に出て行く流れも嫌いですね。
だから、嫌なら僕は、辞めることも良いと思ってます。
自分の場合は、高校を辞めた理由はどちらかと言えば、
自分の信念を貫きすぎたというか、辛いのもあったけれど、
中学校の時みたいにいじめられることってのは本当になかった感じがあります。
どうあれ、僕の場合はともかくとして、
高校なんてのは、辛い経験をして、これからもそれが続くのが嫌であるなら、
辞めて良いと思います。
僕は辞めてから高卒認定を取って、大学に行こうとしたけれど結局ダメで、
今は訳の分からない流れでこうして上京しましたが、
世の中に、道はたくさんある気がします。
高卒認定さえとれば、大学なんていくらでも行けます。
というか、小、中、高ってあまりにもずさんなんですよね。
何かあっても我慢するしかない、みたいな風潮。
そんなものを耐える必要もないし、好きな事に力を入れたほうが、
結果的に良いと、個人的に思います。
好きなことがない、やりたいことがない、というのもあります。
どうあれ、これは社会が悪いですね。
それだけの選択肢しか与えない社会。
といっても、僕が選択肢を与えることも出来ない事も辛い。
何か、人間として誕生すること、って、辛いことだなと思いますよ。
勿論、生まれた事に感謝しろだとか、親に感謝とか言うけれど、
生まれてくるほうからすりゃ、冗談じゃない、なんて場合も多いです。
親だって選べない。不平等だなと思います。
勿論、人間は生物の中では恵まれているだとか、
そういう議論をすればキリがないけれど、今はそういう部類の話をしているのではなくて、
生命としてこの世にある事自体が、ということを言いたいし、
それとともに、人間特有の、時には役に立ち、時には全く無力な、
ルールや習慣に塗り固められた雰囲気に対しての生きづらさ、も言いたいです。
だから、この世の中に、絶対的な正義はないなと思うんですよね。
幸せになってほしい人が、なぜかそうなれない。
救えない自分自身に対する絶望。この世界への絶望。
誰しもがとは言わないけれど、多くの人は、上辺では優しい事を言います。
けれど、実際に行動が伴っているか、といえばそうでもない。
勿論、自分も何か善行をしたかと言えば、してない、わけですが。
けれど、真逆の事をしている人もいます。
流石に自分はそうではない。
少なくとも、現時点ではそうではない。
これから先もそうでありたくはないし、
辛い思いをしている人に少しでも、
安らぎや喜びを与える人でありたい、という意志は変わらない。
人間は、というか少なくとも自分は、
自分自身が最優先になってしまっているけれど、
いつかは本当に、救いを与えることが出来る人、でありたいと思う。