自分が生まれてからだいぶ経った。
今は多分、20歳、だったはずだ。
いじめられた日々を経て今、
世間的には、20歳がどうとか、大人になったとかどうとか、色々と言っているらしいけれど、
自分からすると、大人になった実感もなければ、
そもそも社会との関わりがろくにないまま20歳になっただけだ。
成人式にも行っていないし、行く意味もない。
延々と、いじめられたときの憎しみを伝えようと今もこうしてひたすらに語るばかりだ。
自分をいじめた奴らの大半は、知らん顔して社会に馴染んでいるのかもしれない。
そこそこ充実した生活をしている奴もいるかもしれない。
そう思うと、いつも、全員ブチ殺してやるぞ、と思う。
自分は今も、いつ死ぬかわからないような日々を過ごしている。
無駄に会社は設立したと言っても、何の利益もない。
強いて言うなら自分の命を縮めるくらいだ。
金がないと言っても、
定職には就きたくないし、バイトだってしたくない。
理由はと聞かれれば、誰かの元に仕えたくないし、面倒だし、
ただ金のためだけに本当は崩れ去ってほしい社会に対して、
その歯車となるかのような事をするのが気に食わない。
常に自分が一番だと思って生きてきた。
小学校や中学校の頃だって、人一倍勉強だけはしてきたし、
痩せて高校に入ってからは、(スポーツ以外は)あらゆる欠点のない人になろうとしてきた。
くだらない会話には馴染まなかったために、友達はいつだって、ろくにいなかったが、
常に自分が一番だと思って生きてきた。
くだらない教育者の先の見えない話より、自分が考えた人類衰退論や滅亡論の方が建設的だと思っているし、
それを伝えるために会社までつくって目立とうとしてきた。
自分はテレビに出てる所謂知名度のある芸能人なんかよりよっぽど顔も頭も良いし、
運よく偶然今いるだけのあんなクソ共を全員引きずり降ろして、
自分が考える理想の世界を創るために情報発信をしていきたいとも思っている。
現実的には、そういうのも、あるかないかはわからないし、あったとしてもまだまだ先だ。
強いて言えば、生きていく金が必要だし、親もそろそろ愛想を尽かす寸前まで来ている。
結局何をやるにも金だなと思った。
会社なんてつくらなくてもよかったし、くだらないゲームに課金する必要もない。
ネットゲーム廃人でかつひきこもりの人達は、今後を考えながら生活していってほしいと思う。
死ぬ、という逆算で生きていくと、きっと辛い事だと思う。
多くの場合、死ぬ事が怖くなって生きるという選択肢を選ぶ。
その時にはほとんど、選択肢が残っていない場合が多い。
ダメになったら人をたくさん殺して死刑になれば歴史にも名を刻めるし、死ねるし、
なんてのも、自分自身も、
自分をいじめた奴全員殺して死刑になれば歴史にも名を刻めるし、死ねるし、
っていう考えをずっと持ってきたからわかるけれど、
死ぬに死にきれない事と、何で死ななければいけないのかと戸惑い始める。
きっと自分と似たような考えを持っている人の多くは、
死刑にはなりたくないが、憎い奴らは全員殺したい、という事なのだ。
そして出来れば金もあった方が良いし、恋人が出来て幸せにもなりたい。
知名度も欲しいし、そうして発言権を持って世界を自分の思う通りにしていきたい。
というと、大半の人がそうかもしれないけれど。
けれど、大半の人は、そんな知名度もあり発言権のある奴らに洗脳され、
自分自身が何者なのかもわからないままに歯車として生きることを強要されている。
自分も、いつかはそうして生きていくしかない事だろうと思う。
そう考えるとまた、自分をいじめた奴をブチ殺してやるぞ、という考えが蘇ったり、
知らない奴らは死んでも何とも思わん、という考えで無差別殺人をしたりだとか。
自分は無差別というのは本当に嫌いで、強いて言うなら、権力者を殺してほしいと思うわけだ。
中途半端ではなく、ビッグマネーを動かす権力者を殺してほしいわけだ。
とは言っても、人を殺す側にはそんな余裕もない。
とは言っても自分が今殺される身だと仮定したら冗談じゃない、と。
そういう感じで、普通が一番だとか、人を殺さずに生きていこうだとか、
また考えが二転三転していく。
自分がもし不幸なら、他の奴らも不幸にしてやりたい。
そりゃそうだろう。自分もずっとそうだった。今後そうなるかもしれない。
お前は幸せだと誰に言われようが、幸せとは何なのかを教えてはくれない。
今たとえ幸せだとしても、いつ終わるかなんてわからない。
明日にでも終わるかもしれない。
今後安定的に幸せである確証はどこにもない。
不安が頭をよぎる瞬間、生まれてこなければよかったなといつも思う。
自分の親は他の親と比べれば人一倍寛容で協力的だ。
そんな自分でさえも、主観的に客観的に、色々見てみても、
やっぱり、人は生まれるべきではないなと思う。
生まれてくる子供が幸せに生きていくという証明はありますか。
あなたにとって幸せであっても、ある人にとっては幸せではないかもしれない。
生まれてこなければよかった、そう言って死んでいった人がいる結果こそが、
その証明にもなっている。
愛情を注いだ、そう言う親は多いけれど、
自分の思い通りにならなければどこかで見捨てる他はないという、
条件付きの愛情でしかない。
大人になったらニートになんかならないと誰が言えるだろうか。
ニートでもいい、どんな子供であれ構わない、そう思っているだろうか。
もし違うと言うのであれば、子供は産むべきではない。
その子供は愛情を受けたとしても、自分自身が不幸だと思った瞬間から、
親は加害者となる。
いくら愛情を注いだとしても、その子供がどう思うか、で決まってしまうわけだ。
勿論その程度の差はあるにせよ、
寛容でないなら、金銭的に安定して子供がどんな状況になっても大丈夫だと言い張れるくらい、
富裕層の中の富裕層でないならば、子供の幸不幸を、愛情を注いだ、という名の自分勝手に持ち込むしかないのだ。
親は皆勝手だ。
育ててやったから自立しろ、という名の元、生きづらさのある世の中を生きていくように強要される。
皆そうだから、と言う親がいる。自分は違う。
性格が悪い、と言う親がいる。自分はいじめられてこういう性格になったし自分は何も悪くない。
それに性格が悪い、という証拠がどこにもないし、どんな思想を持とうが自由だ。
金になる事をやれ、と言う親がいる。さらに、変なプライドを捨ててバイトでもなんでもいいから、なんていう。
そんな事出来てたら苦労しない。プライドを捨てられたらきっと今頃世間的に言う普通の大人になっていただろう。
普通に生きていけ、と言う親がいる。
何が普通なのかを説明出来ないなら自分の今の状態が普通だ。
どこを見渡しても、誰もがどこかで被害者になり加害者になり。
人に迷惑をかけるな、というけれど、
誰しも誰かに迷惑をかけていると思う。
自己中心的と親に言われてきたけれど、皆自己中心的に物を考えている。
そう、どう考えたって、この世の中で人類皆が幸せになるときは、
その人類が衰退するか、滅亡するか、だ。
いずれ衰退にせよ滅亡にせよ、するだろう、という人がいる。
いや、そういう話ではなくて、今からその方向に世界が向かわなければいけないと思うわけだ。
これ以上加害者も被害者も増やさないために。
幸せのために真剣に衰退も滅亡も願っている。
これは決して、今人を殺せとかいう話ではなく、
これ以上人を誕生させてはいけない、という話だ。
そうして徐々に衰退していく事こそが幸せにつながるんだ。
という、凄く建設的な提案であると自負している。