文化においても、メジャーだから見ておく、買っておく、などというように、
勝ち馬に乗るだけの人が急激に増加している。
皆が見ているテレビ番組、ネット番組を見たり、
特に可愛くもないアイドルなどに大金を貢いだり、
売れ筋の歌手のCDばかりをいつも購入する。
その一方、アンダーグラウンドで活動している本質的な意味で可愛い人や、
声が可愛いと称されるアニメ声優よりも遥かに可愛い声の同人音声の声優であったり、
一般受けするようなものではなくとも、それを必要とする人が沢山いて、
更に歌詞が綺麗事ではなく現実的な意味合いを持ち、力を与えるような、
インディーズのミュージシャン、同人音楽の制作者、歌手など、
そのモノ単体として見れば遥かに価値が高いものに対しても、
メジャーな舞台に上がらなければ見てすらも貰えない。
そして、インディーズの中でも格差が激しく、
メジャーとインディーズの構想に似たようなものが立ち現れてしまう。
権力者に見いだされた人、お金を巻き上げるのがうまい人だけが、
その世界で生き残れる、というのは、あまりにも悲惨なのではないだろうか。
だから自分は基本的に、メジャーなものは嫌いなのだ。
そして、本来ならばメジャーなものは嫌われて当然というか、
それだけ金銭的なメリットがあるのだから、多少の誹謗中傷は受け入れるべきではないか、
とさえ思うのである。
しかし彼らのファンは、自分自身が疎外された低賃金労働をしていようが、
上司から悪口を言われていようがその事実を忘れ、
「可哀想」「頑張ったからそこまでなれた」「批判する人は努力が足りない」
などと、メジャー崇拝とも呼べるものを実践している。
それならば彼らもぜひ、「頑張って」ビッグマネーを掴んだら良いのではないだろうか。
どうあれ、
「ビッグマネーを掴んだ人」を「極貧者」が擁護、保護するというこの歪な構想が、
たとえ文化を介してであれ実現されてしまっているという事実は深刻だ。
メジャーでないものはモノ自体がダメであるとか、才能がない、というように捉えるような、
頭のネジが数本取れているような人が多いのだろう。
勿論、メジャーだからダメ、というのも一概には言えないのだが、
だからと言ってインディーズ、アングラなものを批判していい理由にはならないのであって、
金銭的なものを考えれば、
メジャーなものに対してこそ批判の目を向けていかなければならないのではないかと思う。
疑いもなく、自分自身の生活の虚しさを思い返す事もなく、見せかけの一体感だけで浮かれて、
メジャーだから正しい、良いものだ、という思考停止を決め込む人が最近はあまりに多いのだ。