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苦しみや悲しみから「全員」を救うための「人類衰退」という道

 苦しんだり悲しんだりしている人を全員救わなければならない、という人がいる。しかし、それは現実的に可能であろうか。人はそれぞれ異なる感性を持ち合わせている。とすれば、いくら救おうと思っても、本人が「救われた」と思うとは限らない。しかも、誰をどの程度救うのが正しいのであろうか。そして、それを決める人間は正しいのであろうか。
 このように考えると、全員を救うなどというのは、全くもって手に負えない所業であることがわかるだろう。たとえ苦しみや悲しみを完全に識別できる仕組みが出来たとしても、その仕組み自体が正しいかどうかの問題がある。本人が苦しみや悲しみを感じていたとしても、それを認識できない可能性もある。その可能性を排除して「全員を救う」ことなどあり得ないだろう。
 しかし、「全員を救う」の解釈にもよるが、苦しみや悲しみを生じさせず、救う必要性さえ排除してしまえば、それも可能になるのではないだろうか。つまり、誰も生まれず、苦しみや悲しみが生じないという事実によって、結果的に「全員を救う」ことになると考えられるのではないかということである。
 そうした事情を踏まえれば、現時点で生きている人達の苦しみや悲しみを考慮しなくて構わないのであれば、いかなる手段を行使してでも「人類滅亡」させてしまえば、その後は確実に「全員が救われる」ことになる。
 しかし、現時点で生きている人間を犠牲にできる正当な理由はない。したがって、より適切なのは「人類衰退」ということになるであろう。例えば、この地球に存在するありとあらゆる資源を贅沢に使い、現時点で生きている人達の苦しみや悲しみを極力軽減しながら、遅かれ早かれ人類は衰退すること、人は生まれた時点で苦しみや悲しみを避けられないことを説明し、理解してもらい、人々が子孫を残すことに価値を見出さないようにするのが、最も望ましい解決法である。
 もし、苦しんだり悲しんだりしている人を「全員」救いたいのであれば、「人類衰退」を考えるべきではないだろうか。生まれた人間をいかにして救うかという問題に持ち込めば手に負えなくなる。しかし、救う必要性さえ排除してしまえば、綺麗に全てが解決するのである。