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「生まれてくることはいいことだ」という「巨大宗教」による恐ろしい連鎖

 親は「生まれてこなければよかった」「自分を産んでくれとは頼んでない」と正論を発した子供に対して、「生まれてきたんだから仕方なく生きていくしかない」「死にたくないなら生きていくしかない」などという欺瞞的発言を平気でしている。
 しかし、もし生まれてこなければ「生きていく」必要性が生じないし「死ぬ」こともない。全ては解決するのである。
 そうであるにも関わらず、「生まれてくるのはいいことだ」という前提で、さらにはそれを前提だと意識することもなく、子供の正論に対して「反抗期」と名付けて理由付けし、「未成熟」と判断して、自らを正当化する。
 そうして少なくない子供が、頼まれてもいないにも関わらず強制的に子供を誕生させて、その悪質性を一切意識することがなく、いかにも「素晴らしいことをした」と勘違いするような、欺瞞に満ちた「未成熟」な親となり、同様の行為を繰り返していく。
 物事を徹底的に疑う気質のある人達でさえも、普段は様々な物事に対して鋭く指摘するにも関わらず「子供が生まれる」ということについては無条件に祝福してしまう。果たして「生まれてくることはいいことなのか」と疑う視点が欠けている。経済的な理由から不幸になるであろう子供に対しては何らかの指摘をする人は少なくないが、そのような類の問題ではなく、あらゆる子供を対象にした上で考えるべき問題である。
 瑣末なことについては時間をかけて議論するにも関わらず、「生まれてくること」という人の命に関わる重要な問題については、「これまで続いてきたからこれから先も続いていくべきだ」と考えている人が実に多い。「生まれてくることはいいことだ」という「巨大宗教」によって恐ろしい連鎖が続いているのである。