オシャレな服を買いに行こうと週末には多くの人がオシャレな服を着て出かけるようである。しかし、たとえ毎日私服を着て外出する人であったとしても、一回着て捨てるわけではなく、洗濯して同じ服を再び着るのであれば、せいぜいオシャレな服は合計で数着持っていればよく、毎週あるいは毎月のようにオシャレな服を買う必要はないであろう。
彼らの言うオシャレが単に流行りという意味合いで使われているのであれば、確かにそれが更新され続けている限り、買い続けるしかないのかもしれない。しかし、周りの人に合わせて流行りに乗り遅れないように心がけるのがオシャレなのだとすれば、単にそれは流行りに煽り立てられ、無駄金を使い続けているだけである。しかしオシャレな服を買う人達のほとんどはその事実に気づいていないのであろう。
どんなオシャレな格好をしようとも、全く利害関係のない赤の他人にそのオシャレな服を見せびらかすだけであれば、何ら利益はないわけであるし、恋人や友人に会うという場合であっても、別にダサい格好をあえてする必要はないが、オシャレな服を着ようと意気込みすぎる必要もないであろう。無難な格好をしておけばいいだけのことである。
せいぜい服というのは、自作や特注品の衣装などでない限り、数多く生産されるありきたりなものでしかない。そのため、いくらオシャレだと言っても、周りの人と似たような格好にならざるを得ないわけである。それらの内容や組み合わせのほんの少しの違いを根拠として、他人より上に立とうとしたり、何か素晴らしいものを見出したりしている人達は、それがいかにくだらないことであるかに気づいていないのではないだろうか。