人間はその瞬間において自らが「正しい」と思う行動をする。それがいかに世間に歓迎されない行動であろうと、本人に不利益をもたらす行動であろうと、本人の意志に反することであろうと、自らがその瞬間において「正しい」と思う行動を実現するために身体は動くのである。行動が「間違い」だということはなく、個々人が「正しい」行動をした上で、他者がそれを評価したり、本人が後悔したりするだけのことである。
もし、ある行動が「間違い」であったと反省あるいは謝罪するように求められるとすれば、それは「嘘を吐け」ということと同じである。たとえ本人が現時点では後悔していようとも、それが「正しい」行動であったことに変わりはない。その「正しい」行動が社会的に認められなかったり、法的制裁がなされたりするだけのことであり、それが「間違い」であることを意味するわけではない。
世間で「悪事」と呼ばれる行動は、その行動が「間違い」であると考えている人達は少なくないが、全ては「正しい」行動なのであり、その「正しい」行動を「許せない」という「感情」があるだけである。確かにそれを「間違い」だと表現する人達がいるのは事実であるが、あくまでそれは主観的な表現でしかなく、何らかの行動自体が「間違い」であるということにはならないのである。