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高校時代を思い出す

 ついこの間まで高校生だった気がする。これは、高校を中退してから、上京してからもずっと、同じような印象を抱き続けている。そして、あの無駄な日々は何だったのかと、後悔ばかりをしている。
 中学時代は、いじめられて本当に大変だった。殴られ蹴られ、悪口で済むようならば感謝し、日々生きていることが奇跡のように感じられていた。しかしながら、勉強もそれなりに頑張らなければならなかった。本当に辛い日々だった。
 高校生になれば今度は、いじめられることはおそらくなかったと言っていいのだろうが、ただひたすらに、中学時代とは比べ物にならないほど、勉強に心血を注いだ日々だ。友人はほとんどおらず、せいぜい機会があれば雰囲気に合わせて少しばかり物を言うだけの相手が数人いただけである。そして中学時代と同様に、彼女も一度もおらず、女友達というのもまるであり得ないような状況であった。
 今の自分にとってリアルなのは、意外なことに、中学時代よりもむしろ高校時代である。何故ならば、中学卒業後の一年間の空白期間における50kgの減量によって、楽しい青春を送ることが出来るような容姿を準備することが出来ていたわけであり、学校での楽しい思い出などは諦め、かろうじて生きていた中学時代とは異なり、自分の意志も明確になり、希望を掴もうとして、一刻も早く上京しなければならないと焦っていた時期だからである。
 おそらくは、これから先の人生は、あの無駄な、楽しいことがほとんどなく、苦痛ばかりが多かった日々を思い出しては後悔するのだろう。そしてせめても、より有意義で、将来に直接的に繋がる勉強をしておけばよかったし、出来ることならば早く上京し、自分がやりたいことに向かって進みたかったと後悔し続けるだろう。
 そして、無駄な行事があまりに多い、自称進学校であるあの学校を憎み、受験科目以外であるにも関わらず、無駄に熱心に教え、強制的に居残りさせ、受験科目を勉強する時間を奪い続けるだけであった、薄汚い顔をした教師達、無駄に大声を出す教師達を思い出しては、殺意を抱き続けるだろう。奴らがずっとあの青森という奇妙な土地で、同じような日々を繰り返していくのだろうと考えれば、少しばかり安らぎを得る。そのことだけによってかろうじて、奴らを殺す事を延期しているとさえ言えるかもしれない。
 しかしいずれにしても、決してあの日々をやり直すことは出来ないのが現実だ。自分が出来るのは、高校を三年の、あと少しで卒業といった場面であえて中退したという決断、そして、その後浪人している間に、このままではいけないと思っていた中、「中卒ブランド」の着想を得て、受験勉強をやめて上京したという決断が、全くもって適切なものであったことを示していくことだけである。