不細工は世の中の諸々の出来事を「顔」のせいにできるため、大抵の場合、精神的に平静を保っていられるであろう。不細工だというだけで、おおよそ無敵の口実を手に入れることができているため、安心して不幸を気取って楽しむことができ、幸福でないことが当たり前だという前提事項を念頭に置いた上で、多くの人に持て囃されることもなくて当然だと考えることができるのは当然のこと、手にした幸福に対して素直に喜んでいられるため、むしろ幸福な人生になりやすいとさえ言えるであろう。
しかし美形(美男美女)は、正当に評価されない限りはそうはいられない。モテる要因は「顔」にはなく、おおよそ曖昧に理解される「人柄」あるいは「カネ」や「コネ」によって決まることを理解せざるを得ないし、自分が振られた片想いの相手が、自分よりも「顔」の出来が悪い人と付き合っているのを目撃するなどすれば特にそうである。また、大衆に「顔」が評価される上で大切なことも「顔」自体よりもむしろ「嫉妬されない(上辺の)人柄」や「カネ」や「コネ」であることを知り、自分よりも顔の出来が悪い人が持て囃され、多額のカネを得て、優雅に幸せな生活を送っていることを知る一方で、生きるために仕方なく疎外された労働をしたり、性を売りにしたりしなければならない場合は特に不幸であるが、世間一般的に考えられている普通の生活を送ることができていたとしても、もっと評価されていた可能性について考える度に精神的苦痛を受け、幸福ではいられなくなる。
世間一般的に考えられている「美形(美男美女)ほど幸福になる(不細工ほど不幸になる)」という類の言説は全くもって的外れだと言っていいだろう。その悪質で欺瞞的な言説が不細工と不細工でも美形でもない普通の人達によって絶対的真実であるかのような口調で語られ、蔓延していくことによって、正当に評価されない美形(美男美女)はさらなる精神的苦痛を蓄積してゆくのである。