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僕は不幸。ではないと思った。

僕は今日、相当なまでに騙されました。
多分、相当、
本当に、死のうかと一瞬思いかけた。
騙されたってのは、金銭的な話。
これがまた、相当だから言う気もしない。
帰った。
思ってみた。
僕は、不幸。
ではない。
なぜなら、もっと不幸、な人はいる。
どころか、比べるのが失礼なくらいだ。
肉親がいて。
恵まれて育って。
いじめられたときにでも、必ず親は、味方した。
確実に、僕は、恵まれている。
不幸なんて言葉を、
もう、言うことなんて、できない。
たとえ詐欺師のような奴に51万4千円を取られたとしても、
それをされるだけの、余裕があったということ。
そしてサインをしてしまった、自分という存在。
でももう、僕は、これを絶対に繰り返さない。
誰かを守るために、
幸せ過ぎる奴から、余剰金を、
使わせる。取っていく。
そして、絶対に、
救わなきゃいけない人を救う。
これまで、自分がすべてだと思っていた。
いつだって、自分を中心に回っていた。
自分が一番、不幸だと思っていた。
憎しみなんて言っている場合じゃない。
苦しんでいる人を救いたい。
そう思って、僕は上京した。
浪人生活をやめ、
誰かを助けたい、その気持ちが常にあった。
そのために、大げさにネガティブになってみたり、
そう在り続ける価値みたいなのを、
ずっと大切にしてきた。
少なからず、好意を抱いてくれて、
実際に意見を言ってくれた人もいて、
その点は良かったと思う。
でも、憎しみよりも、もっと大切なものもある事に気づいた。
もっと、必要なものもある事に気づいた。
僕は、恵まれている。
いじめられて、殴られたりもした。
蹴られたりもした。
悪口も数え切れないほど言われたし、
靴にも蛙の死骸とかを入れられた。
でも、味方をしてくれる存在が、
両親が、そして、祖父が、祖母が、
そこにはいた。
もう、僕自身が不幸だなんて思わない。
本当に不幸で、寂しさを抱えて、
気取ったものじゃなく、
本当の孤独というものを感じている人が、
現実は楽しいものだ。
と伝えようとしてくれた。
詳しい内容なんて、
言う権利もないから言わないけれど、
どこまでも孤独で、
ずっと寂しさを感じてきた人が、
不幸を気取ってるような僕に、
現実の楽しさを伝えようとしてくれている。
僕は正直、情けなくなった。
そして、直接的にその人を救えない無力さ。
この世に自分が存在していていいのかわからないほどの、
罪悪感。
僕のような、思春期の憎しみを、延々と先延ばしするのではなく、
思春期であるその人は、今現在を、そして、自分の未来を、
真っ直ぐに見ている。
そして、本当に辛い環境の中で、
一人泣いて、
自分を傷つける。
何にも悪くないのに、
自分も悪い、と考えられる優しさ。
僕にはそんな感情すらなかった。
自分は何も悪くないし、
自分を傷つけるなんてもってのほかだ、と。
つくづく、考えさせられた。
僕とは、経験してきた闇の質が違う。
どうしようもない僕とは違って、
本当に、力強く、真っ直ぐに、生きている。
僕はそういう人を救いたい。
僕はずっと孤独を感じていた。
ただただ、自分が救われたい、と思っていた。
いつからか忘れかけていた感覚が、
ふっと目覚める、そんな気がした。