メニュー

殺すか殺されるかのいがみ合いの中で、牽制しながら親と関わる神(創造主)こと、自分。

親はそもそもが、産んでほしいとも思っていない自分に対して、
勝手に、「生きているのは私のおかげ」「いい加減自立しろ」「ヒル」
「早く死ねば良い」「私が引っ越せば終わりだ」
などと言っている。
そういう中で、「居なくなったら殺す」という牽制、
距離感を見た上で冷静な抑圧でもってして、
親と子がそこには存在している。
こっちから言わせてもらえば、
むしろ、勝手に産んだのが罪、みたいな感じだし、
産まれるんならせいぜい、親が国を支配する立ち位置に居るような家に産まれたかった、と。
いくら「お前は恵まれている」と言えど、
別にこっちはその「恵まれている」状況において、
特に学校生活も幸せではなかったし、
いじめられたか塾に行かされたかどうか、ぐらいの記憶だ。
「私はもう頑張ってきた」だとか、親が勝手な事を言おうが、
20歳になっても子供みたいな状況の「大人」に、
「自立しろ」などと言っても、誰かを殺してホルホルして、
よっしゃやってやったぜ、などと言って死刑を迎えて終わりだ。
一応はここで言えている自分よりも、
ここで言う事すら出来ない人たちにとってはもっとそうだろう。
要するに、世の中というものが、
どこまでも曖昧、そして騙し合い、つぶし合いになっている。
人間同士の会話の中には常に裏があり、その結果が出たときに、
またその会話を分析しなおした時には、
要所要所に騙しのポイントが満載だ。
言うならば、自分も親に対しては、いかに理想的な計画をもってして騙し、
今を生き延びるかしかない。
借金をして、来月に返済する、と言って、その来月がいつまでのびるかの中で、
今を生きているようなものだ。
そして実はその計画はもはや、破綻寸前だ。というような。
そう、これは死ぬまで続いていくわけだ。
どこかで大逆転、大逆襲がなければいけない。