「見せていいのかわからないくらいの内容と量だけど。」2012年10月28日15:20
反感をもたれる可能性が今回はやや高めです。後半だけ。
詳しく見直してないから何言ったか不安。
あまりに長いので、興味持った方だけどうぞ。
なんかいつか消すかもしれないくらいの内容。後半特に。
とりあえず1つ目、これは今日の出来事。
今日、夢を見ました。
どんな夢かというと、自分がある女性に寄り添われている夢。
夢だから途中は曖昧だし、二度寝したからなおさら状況を説明できそうにないわけだけれど、
なんか寝ている間だったけど、幸せ、ってのを感じた気がしたんですよ。
特に何をしたわけでもないけれど、確かに、自分のことを好きだと思う人がいて、
寄りかかってきてくれた。
現実の世界じゃそんなことないわけですよ。
最近では、女性の存在は明らかだと自分の中で思っているわけで、
去年だか一昨年だかみたいに、母親と祖母以外に女性がいないのではないか、なんていう
狭い狭い部屋の中での考えとはまったく違っていて、
実際女性を見ることもやや多くなって(外に出ればそりゃ見るわけだけど)、
やっぱり存在するんだな、ってわかってから少し気楽になった。
そんな関係ない話はともかく、そう、夢の中では幸せだった、っていうこと。
何をしたかというと座って寄り添って、頬を合わせた。
それだけという人も稀にいるのだろうけれど、少なくとも自分にとっては、幸せだった。
実際起きてみたら、女性じゃなく壁だったし、寄り添ったのも頬合わせたのも全部壁。
起きたときは、相当へこんだ。
無駄に悲しくなってきてたし、なんなんだろう、この世界、って思った。
でも、これが男の正しい姿。
男っていうのは本来、美しい存在である女性に触れることはできないし、話だってできてはいけない。
一生男は女性の奴隷であるべきだし、何もかも奪われるべきだと思う。
男はいくらでもいるけれど、女は貴重で、美しい存在。
だから、男は、そうして夢を見ることだけで生きていくべきだと思うわけよ。
癒されたいし、依存されたい、けど。
とりあえず、壁が女性なんだとしたら、壁は殴れないな。
いや、まず女性というか人間でもないわけだけれど。
ああ、癒されたい、依存されたい。
2つ目、
これは正直、男だけが見ればいいもの。
そしてこの文章、今日書いたわけではなく少し前に書いたわけだけれど、
自分にとってこれを見せることが得とは決して言えないし、
自分が隠したいことも、気持ちも一部はっきりしてる気がするし、
さらに夜に書いたからなおさら、言葉が直接的だったと思う。
美しい存在である女性には、こんな文章決してお見せできないくらい。
いや、見て不快に思わないならいいんだけれど。
でも男はもう、いくらでも見ればいいっていうくらい。
だからあえて見せとこう、っていうね。
少なくとも、童貞でないなら見るべきだと個人的には言っておきたい。
最近人と関わるようになって、とことん、童貞批判にいらだちを覚えるんですよ。
割と親しい気がする人でも、まるで童貞批判が正しいかのように語る人もいます。
自分は、童貞というか、人と付き合ったこともない、小、中学のときもキャンプファイアーなんてものが学校であっても、毎回手に触れることすらできずに避けられてました。
そのときは太ってたってのもありますし、
中学1年のとき教室で大を…いや、やめとこう。
でも人間って、そういう大事な時期の思い、悔しさが一生残るわけですよ。
いじめられたということが前面に出すぎて、恋愛は影に隠れてしまっていましたが、
実際いじめられてるときに恋愛なんてできはしないし、
多分太ってたからどっちにしろできなかった。
じゃ、痩せたらどうなのかっていうと、今度はそれまでの過去が、自分を硬派にしてしまったがために結局恋愛はできていないわけだけれど。
正直な話、しないようにしてる、としか思われないだろうけれど、
そりゃ、1年で痩せていきなり性格も伴うかっていったら違って、
性格なんてまるっきり昔と同じ。
それでいて、ある文章、これは同じ高校の人しか借りない限り読めないものだからどうなのかとは思うけれども、デブの代償、っていう詩があったんですよね。
その当時は自分だと思われたときのために、あえて思い切ったことは言ってなかったし、
あの頃は今より若干無駄なロマンスを出してたのもあるけれど、
直接的に言うと、俺は必死に痩せたけど、不整脈にもなったし、太ってたけど痩せた人特有の皮のたるみもある。
結局だから俺は童貞を永遠に決定付けられてしまっている。
いじめられてから本格的に太り始めたし、だからこそ俺をいじめた奴のことは、
これからもリアリティを持ちながら憎しみ続けるぞ、覚えてろよ、という感じのことを言っていたんですね。言葉は当時と違ってやたら直接的ですがね。
(というかあの文章からこのことは多分、絶対伝わらないから、正直関係ないとも言えるけれど。)
不整脈はともかく、後者は童貞を決定付けざるを得ないものでもあるわけで、
じゃ、太ったのが誰のせいかっていうと、自分のせいではないし、
親のせいだともいつか言ったし、いじめた奴のせいだとも言った。
それでいて裕福なのかといえば父親が一日ごとに給料が決まることをやってたのもあって、
貧乏ながら、祖父母の助けもありながら、みたいなところもあって。
びんぼっちゃま、という言葉が実に似合う状況だった。
太れない国に行ってもこれまでと同じことをいえるのかと言われたら言えないだろうし、
かといって、少なくとも周りの人と相対的に見れば、自分は結局のところ不幸な人間だったと思う。
ずっといじめられてたし、恋愛なんか無縁だった。
その過去があるからこそ、それこそ硬派で、誰に対しても言いたいことを言う性格になった。
その、無駄な正義感が生きるときも、自分が犠牲になって結果的に救いになることもあったと思う。
その代わり、何かを言われたら絶対に言い返すし、自分の過去が余計に言葉を生み出して、
争いになることもあった。
だからこそ、孤立することが多かったし、隔離もされたけど、
実際、はっきりと意見を言うとわかってくれる人もいるし、
今はそう思える。
まあ、美談で終わるのが礼儀みたいな考えはないので続けます。
これまでの話は、結局のところ、
自分はいじめられてたし、恋愛とは無縁で、これからも、色々な理由からそうだろう、ということですが、今日書きたかったことはそうではなかったと思い出したんです。
書きたかったことは、童貞であることがどうなのか、ということ。
あと、人類について(多分批判はだいぶある)
まず、童貞って批判することじゃなくて誇ることなわけです。
女性を傷つけない、少なくとも、傷つけないということに近づくことはできる。
逆に童貞じゃない人に対して自分は、じゃその相手に対して責任を持ってこれから一生死ぬまで愛することを誓えるのか、と。
童貞批判者は大体、童貞でないことが正しいかのように語るわけですが、
実際自分の罪と言うものにまったく気がついていないんですよ。
男は大体女性を傷つけるために存在してるようなもので、
世の中にはこれまた非情な男もいるわけです。
自分の知る限りでも。
でもそれをここで言おうとは思いませんが、
責任を持てないで、女性を傷つけることがまかり通っていいのかって思うんですね。
そりゃ、人間の本性なんてのはそんなものなわけですが。欲望なんて、尽きないわけで、自分だってそりゃもう、19年間の反動と言うか欲望が、常にあるわけです。
でもその19年間が、逆に硬派にすることもあるわけですが、かといって硬派でなくなったほうが幸せなのかもな、とも思うわけで。
自分の考えを、偏りがあるだとか、誰も賛同しないだとか言う人もいるわけですが、
実際、自分の罪にも気づけない人間に賛同する人間なんているのだろうか、と
男として、人間として、思うわけですね。
人間なんて、生きてるだけで罪を犯してるようなもんですよ、今日は何か食べましたかと言われると、さっきチャーシュー丼なんかを食べたわけで、じゃ、自分は何も罪を犯してないのかというと、
直接的ではないにしろ、動物を殺すということに賛同しているわけですね。
どの動物にしても、理不尽に人間は殺しているわけです。
それが罪なのか、というと、どの動物かによる、なんてことを人間は決めるわけで。
じゃ、牛も豚も殺されて、猫や犬はどうかというと、批判される。(癒し効果がっていうのもわかる)
そりゃ、食用のものじゃない動物を殺すと批判もあるとは思う。
でもどこの国か、どんな文化かによってそれはいくらでも変わる。
それでも、どの動物の命は大事で、どの動物はどうでもいい、むしろ殺そう、なんてことが、
平気であるわけですよ。食用にしろそうでないにしろ。
その判断基準も結局は多数決だったりする。
結局のところ人間も含め動物は、愛されなければ殺される、ということなんですね。
愛されすぎて殺されることってのもあるか。
死なない程度の限界まで愛されてみたいなあ。
正直、自分は、人間の幸せが一番大事だと思っているので、
他の動物がどうとか、動物愛護をどうとは言うタイプじゃないわけですが。
動物愛護なんて矛盾だらけで、実際、選んで愛護しているし、
地球にやさしく、みたいに言う人もいるけれど、
実際地球に本当にやさしくなるのなら動物がすべて消え去る必要があるんですよ。
まぁ実際はあくまで人間のためになる範囲で、ということだと思いますが。
これまでのことを総合して、誰が悪いのかと言えば、創造主と言いたいところにはなるわけですが、
自分はその創造主に憎まれるわけにはいかないので何も言えません。
いや、創造主って誰だ。
ただ人間の幸せというものを考える上で、一番いい方法が、人間が滅亡なり衰退なりすることだと思うんですね。
全人類が幸せになることがあるのならそうではないのですが、そうではないので、
結局、存在しないことが一番幸せなんじゃないかっていう考えに行き着くわけです。
そこでたまに自分が言われることとしては、なら自分がまず死ねということらしいのですが、
実際、自分1人が死んだところで意味がないわけですよ。
全人類が一斉に、幸せなままで衰退なり滅亡なりしなければ意味がない、と。
かといってそんなことがあるのかというと、何も言えないわけですがね。
というかまず、自分は男であるわけだけれど、
女性だけが永遠に生きられる世界になればいいと思いますね。
それが理想。
というわけで色々、思ったことそのまま、タイピングの速さを生かして、
浮かんだ瞬間に書いてきたわけだけれど、
不快な方がいるとすれば、申し訳ない。
正直、つながり曖昧だし、結局とか実際とかまずとか、ぱっと見多すぎるけど、
人間の心の移り変わりだとか、そのまま反映されるのも面白いと個人的には思うし、
見られないほうがうれしいくらいだけど自己完結したかったこと。
あとなんか、後から修正しない文章のほうが何か、伝えるものがそのまま伝わる気が最近している。
見られたら恥ずかしいけど、伝えたいこともたくさんある気がする。
これまずいかもってところは相当あるけれど、
それこそが自分だと思う。