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「アンチ」という名の「広報担当」

 本当にアンチになりたいのであれば、アンチ行為すらやめたほうがいいだろう。もしその行為が決定的に痛手となり、活動休止や引退に持ち込めるほどのことがあるのだとすれば、確かにその行為も有効であるかもしれない。しかし、そこまでできるアンチはどれだけいるのであろうか。
 実際のところ大半のアンチというのは、アンチ活動をしながらもファンと一緒に扇動されて一緒に拡散するばかりである。アンチを自称する人たちはまずその部分を理解した上でその行為をしなければ、いつまでもただの「数増やし」に利用されていくだけである。
 嫌いなものは見ない。例えばネット上の動画であれば再生しない。こういった姿勢こそが重要ではないだろうか。注目を集めることに貢献してしまえば、むしろその影響でファンを増やしてしまうという滑稽な現象が起こってくる。とすれば、「数増やし」に利用されるよりも徹底的に無視することの方がまだしも有効的なアンチ行為と言えないだろうか。
 アンチはその行為を適切に機能させることができなければ、単に「炎上マーケティング」を手助けするだけの「広報担当」になってしまう。勿論、アンチ行為を楽しめればそれで構わないというのであればそれで構わないであろう。しかし、自分自身がどういう役割を果たしているのかを理解していないアンチというのは、全くもって滑稽なものである。