親子という関係性があるにしても、親と子供が他人同士であることに変わりはない。しかも親子という関係性は、子供に選択肢が与えられず、子供の同意がないままに、親が勝手につくり出したものである。にも関わらず、自分達が誕生させたからと言って、ほとんどの親は子供に対して「教育」する権利があって当然だと考えている。子供を教育するというと聞こえは悪くないが、悪く言えば、自分にとって都合の良いように子供を拘束して飼いならすことである。もし教育が子供のために必要だとしても、状況は全く変わらない。多くの人が行っているため、いかにも当然の行いだと勘違いしているだけである。
また、そもそも親だからと言って子供という他人に触れる行為を子供の了承なしに行うことが正当化されるかという問題がある。オムツを取り替えたり、着替えをさせたり、風呂に入れたりすることなどは、悪意があろうとなかろうと、性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント)になり得る。子供だから構わないというのは、子供も人間であるという事実を見過ごしている。例えばそうした行為を、男性が女性に行うという状況を想像してみるとすれば、性的嫌がらせであることは明らかであろう。しかし、子育てをする上でそうした行為は避けられない。そして、それらをしないことはまた「育児放棄」である。
教育には様々な問題が潜んでいるが、かと言ってそれを放棄すれば今度は「育児放棄」になってしまう。そういった事情を踏まえれば、本当に子供に対して不当な扱いをしたくないという場合は、そもそも子供を「誕生させない」という選択肢が最も適切であろう。そうすれば「被害者」が生じることはあり得ないため、全ては解決するのである。