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「平凡な毎日」の素晴らしさを唱える権力者と、大衆の反応について

 権力者が「平凡な毎日」の素晴らしさを唱え、大衆がそれに共感したり、一般庶民に寄り添った権力者であるとか、挙句の果ては自分達と似たような存在であると錯覚したりする人も多くいたりするわけであるが、彼らは全くもって現実を直視していない。
 言葉そのものを受け取れば、どうにもならない現実を少しでも肯定しているように思えるのであろうが、それが実現しない直接的な原因というのは、権力者が居座り続けていることなのであるから、自分がそこに居座ることが出来ないことに対して、何故屈辱的に感じたりしないのか疑問である。
 権力を持つことさえ出来れば、何も我慢して「平凡な毎日」を過ごす必要はないのだから、権力者に対してはむしろ敵対してもよさそうなものであるが、実際にはそのような人達は少数派のようである。自らが奴隷であることすら気づかない大衆というのは、全くもって滑稽な姿を晒しているものである。