肉や魚を食べる際に「動物に感謝して食べよう」「残さず食べないと動物が怒る」などと子供に言う親や教師は多い。しかし、死んだ動物が何かを認識するというのは全くもってナンセンスであるし、動物にしてみれば、殺されたくなかったにも関わらず殺されたという事実があっただけである。人間が感謝したところで動物は喜ばないし、残さず食べないと怒るというのは、実際には自分が怒るということでしかなく、それを隠蔽するために動物の立場を勝手に利用しているだけである。
動物に感謝しながらも、理不尽に殺された動物を食べることによって間接的により多くの動物を殺すことに加担するというのは、全くもって辻褄が合わない行動である。まず、殺されたくない動物を殺した上でその食事が成立しているのだから「感謝」よりもまず「謝罪」の方が適切であろうし、本当は動物の命のことなど真剣に考えていないからこそ、感謝することによって肉や魚を食べることを正当化し、罪悪感を打ち消そうと必死になっているのではないだろうか。もし本当に動物の命に「感謝」する気持ちがあるのであれば、肉も魚も食べずに菜食に切り替えたり、動物を殺さないように訴えかけたりすればいいだろう。
肉や魚を食べる際に欺瞞的な発言をして自らを正当化し、子供にもそれを強要するような人達には、是非とも自らが動物の立場になって真剣に考えてもらいたいものである。「人間以外の動物」によって「感謝」されて「残さず食べられる」ために「殺される」ということを望ましいことだと考える人はどれだけいるのだろうか。殺されたくないし、死んでから感謝されたところで全く意味がないし、人間でないならば尚更そうであるし、残さず食べるかどうかは自分には関係のないことであるし、食べられると想像しただけで気味が悪い、と考える人がほとんどではないだろうか。