疎外された労働をして僅かなカネを得て貧しく生活する人もいれば、その一方で親の資産を受け継いだ奴らが一切働くことがないか、または大した苦労もなく親の会社を継いだりして優雅に生活している。
労働そのものを肯定する人は、自分自身が何かしら意味のあることをやっていると思いたいだけだろう。カネさえあれば、ほとんどのことは解決するのであって、カネがなければほとんどのことは解決しない、そういうシンプルな構図を見ようとしていないのである。奴隷であることに慣れ親しんでしまっている、という感じだろうか。
カネがなければ、飯も食えないし家も借りられなし服も着られない。電気・ガス・水道は使えない。衣食住は全てカネを前提として成立している。カネさえ充分にあれば、高いものを食べられるし、高い家に住めるし、高い服を着られる。
愛さえあればカネはいらないという人もいるが、結局はどういう手段であれ、どちらかがカネの工面をしなければならない。愛だけで衣食住の問題が解決するわけではない。しかも大抵の場合、カネがなければやはり別れるというのが現実だろう。カネを出してくれる恋人を探すというわけである。だから、カネがあるというだけでモテる要因になるし、恋人もできやすくなるはずだ。言い方は悪いかもしれないが、場合によっては愛もカネで買える、というのが現実ではないだろうか。