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久々に、ラフな感じで、語る。

皮肉を言えるときというのは大体、

何かしらの余裕があるときなのかもしれない。

いや、勿論、余裕が無くても、言いたいときもあるんだろうけれど。

人生っていうのは一筋縄には行かない。

どう生きるのかということも、

何が幸せなのかということも、

人それぞれ違って、人それぞれ、自分の価値観に基づくことになる。

あえてそれに批判をする自分がいたとしたら、

それは、個性がなかったりだとか、

結局、何者かの請負だと感じたときだとか、

やけに無駄に空元気というか、テンションを上げようと意気込んでいるのに、

嫌気がさしたとか、そのへんだと思う。

自分は、普通というものが、どこまでも嫌いで、

個性というものだけが、人間を差別化する唯一のモノサシだと思っている。

その個性というのも、本人が個性だと思っていて、

実は完全に、誰かが好きでとか、誰かの何かが魅力的で、

そのパクリみたいなものだと感じたときに、

嫌気がさして、そんなものは個性じゃない、

と思って、批判して、その結果自分が嫌われたりする。

基本的に、本当の個性、ってのは、嫌われるものだと思っているし、

たくさん嫌われて、その中にも、少なからず、興味を持つ人がいる、

みたいなもんだと思っている。

だからこそ、個性、ってのは、抑圧されるけれど、

深く関心を持ってくれる人も中にはいるような気がする。

だからこそ、知る人の分母、ってのを増やさないといけないと思うし、

保護も受けなきゃいけなくて、そうでないと途中で、

抑圧の波に押しつぶされたりもする。

っていうか、何でここまで、個性について語ってるのかわからないから、

この話はいったんこのへんで。

こう言ってて自分でも思うけれど、

自分は、いったん何かについて語り出したら、

必要以上にそこにこだわりすぎる気がする。

簡潔に、ってのが好きじゃないのかもしれない。

まあ、とは言っても、案外臨機応変に、

変えようと思えば変えられるわけだけれど。

というわけで話はまた変わって、

孤独感、についてまた話そうかなあと思う、

自分はずっといじめられてきて、

実質的に助けてくれる人は誰も居なかったから、

結局は我慢するしかなかったし、

明日を生きるということ自体にも、

常に不安を感じていた。

その時は、本当に、

殴られて、蹴られて、

生きるか死ぬかの瀬戸際を常に、

意識させられていた。

その時から考えると、

今が孤独なのかどうなのか、っていうのも、

何とも言えないし、

けれども、その過去があったからこそ、

今の孤独感もあるんだろうと思う。

自分は、良い方向にも悪い方向にも変わっていき、

社会という、訳のわからない、概念を、

常に批判し続け、

くだらないとあざ笑いながら、

孤独感というものを感じつつ生きている。

っていうか振り返ってみても何か馬鹿らしくなってきた。

これは多分、今が夜中じゃないからなんだと思う。

夜中には良くも悪くも、

率直に自分のことを書ける。

そして何の迷いもなく納得する。

ある意味、そのときが一番の本音かもしれない。

それ以外のときは

自分自身というものに対して遠慮して、

自分自身というものを客観的に見過ぎて、

何かしらの恥ずかしさから、

無意識のうちに遠慮するのかもしれない。

常識という言葉も、普通という言葉も大嫌いでありながら、

そういうものを無意識のうちに、

ぎりぎりのところかそうであるかはさておき、

少なからず意識していると思う。

こういうことを言っている今も、

そうであると思う。

それでもって、

今、思った。

僕は、癒されたい。

何をいきなり、と思うかもしれないけれど、

僕は癒されたい。

愛されたい。癒されたい。依存されたい。

結局僕は、孤独感を埋めない限り、

何者かを先に進めることは、

とてつもなく難しい気がする。

愛されているという実感が欲しい。

ずっと、カップルが歩いているのを見るたびに、

苛立ちを覚え、

本当は、男のほうを殴りたいとさえ思う。

雨が降って傘を持ち歩いているときなら、

それを振り回したいとさえ思う。

勿論それはしないので、これを読んでいる方には、

安心してもらいたいと思う。

本当に、心の底から、安心してもらいたいと思う。

というかまず、自分はなんだかんだ言って、

人には気を遣うほうだから、

何か不満を言ったとしても、

こいつはやばい、というようなことを言ったとしても、

そうそう、実際その、やばい、とされることはしない。

勿論、どれがやばい、とされることかは人それぞれだけれど、

案外、優しさに満ちあふれる人だとは思って欲しい。

まあ、勿論、これもまた色々とあって、

キレそうなことを言ってきたなら、

しっかりと言い返すもんだから、

それはそれで嫌われる。

それ以上に、

自分の場合は、自分の性格だとか、考えについて、

最初から紹介するもんだから、

先入観みたいなのが先行するのかわからないけれど、

とことん、早い段階で嫌われてきた。

むしろ、自分のことをわかってもらえないなら、

わざわざ嘘をついてまで気を遣うにしても、

きっと続かないし、終わりも早いと思う。

自分の事を気に入ってくれる人だけが、

自分に関心を持って、話を共有できたら、

それで自分は良いと思っている。

その結果、孤独感のループというのが続いているわけだけれど。

自分を孤独に追い込むことで、

成長できる、とか意気込んでいたときもあったけど、

もはやもうそこから抜け出すにはどうしたらいいか、

という考えばかりをしている自分がいる。

これもまた自分だ、というわけだから、

それはそれで納得している。

自分は、ネガティブ、ではない。

ネガティブに思われるときも多いけれど、

誰かに、自分は孤独だ、と語ることが出来るなら、

大々的に、孤独を語ろう、という意気込みがあるなら、

その時点でもはや、ポジティブな何かかもしれない。

まぁ、別にどっちであれ、自分は自分である、

っていう実感が大事なんだけれど。

というわけで、いったんここまで。